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3月22日(1995年) デカ旗が初めて登場した日

 1995年3月22日(土)。浦和レッズはこの年の前半(1stステージ)でホームスタジアムとして使用した大宮サッカー場にジェフユナイテッド市原を迎え、Jリーグ第2節を行った。

夜目に美しく波うつ白

 選手入場の際、大宮サッカー場のレッズ側ゴールを白い布が覆って行った。ナイトゲームなので白が照明に映えてきれいだった。中央には赤いハート、その中には「12」の文字が白抜きで浮かび上がっていた。全体が波うつ樣が、下にいるサポーターの躍動を示していた。
 今も試合を盛り上げる応援アイテムの一つとして重要なデカ旗。その第1号の「白」が初めて登場したのが、1995シーズンのJリーグホーム開幕戦だった。

最下位からの巻き返しへ

 浦和レッズサポーターは、その人数はもちろん、声量、メリハリがあり試合展開に応じた応援、さらにチームへの叱咤など、他チームにはないサポートでJリーグがスタートした当時から「日本一」と言われてきた。一方、チームは2年連続最下位の屈辱を味わってきた。
 クラブは初の外国人監督、ホルガー・オジェック氏を招聘し巻き返しを図った。そしてサポーターもチームを上位へ、いや優勝へ押し上げるための手段を模索していた。

 その一つとして考えられたのがビッグフラッグの作成だ。当時、クラブの大きなエンブレム旗をサポーターがスタンドに広げるチームもあった。レッズサポーターが当時考えていたのは、クラブエンブレムではなくサポーター独自のデザインであることを示すようなもので、かつ日本一大きなものだった。
 イメージされたのは、大宮サッカー場でのホームゲームは前年も何試合か行われており、箱形の同スタジアムのゴール裏をすっぽり覆うようなフラッグだったが、製作費にはかなりのお金がかかる。募金活動をやって集めるとなると何日かかるかわからないし、最も集まりやすいのは試合日だが、そうなると開幕には間に合わない。

サポーターとパートナー、思いが一つに

 そんなとき、レッズのトップパートナーでユニフォームの背中にロゴマークが入っていたパソコンメーカー「COMPAQ」が製作費を提供してくれることになった。同社はレッズサポーターの応援を財政的に援助したいと考えていたが、どうすればスムーズにそれが実現するかクラブに相談していた。
 1995年の年明け、僕はクラブからその話を聞いた。そしてサポーターがビッグフラッグ製作費の捻出に苦心していることも知った。僕がいなくても、磁石のSとNのようなものだから、いつか2つの思いは一つになっただろうが、とりあえずこのときは僕が橋渡し役になった。

 ただ、パートナーに全面的に作ってもらうのはサポーターとしての矜持が許さなかったから、布や糸などの材料を提供してもらい、それを人海戦術で完成させることにした。作業場は、生地や糸の仕入れ先となった北浦和駅東口の「パーミンダイゴウ」が所有するイベントホームを借りられることになった。同社の大郷恒吉社長はレッズが浦和に来たときから熱心に応援している方で、地元商店会のみならず浦和市民の中の旗振り役でもあった。材料の布と糸に関しても仕入れ価格で提供してくれた。

ホーム開幕当日に完成

 サポーターたちは土曜、日曜に集まっていたが、ホーム開幕戦に間に合わせるため最後は連日の作業となり、21日(火)の祝日(春分の日)から試合日の明け方までかかって完成させた。横52m×縦11mの手作りの旗、新しいサポートの武器は、デカ旗と呼ばれるようになった。

 3月18日の投稿にも書いたが、僕は当時原因不明の病気にかかっていて、歩いたり話したりするのが困難だった。開幕戦の三ツ沢球技場からは、たまたま知り合いのサポーターが車で来ていたので乗せてもらって事なきを得たが、もう試合に行くのはとうてい無理な状況だった。
 だが僕は3月22日、大宮サッカー場にいた。自分がその試合に、いやデカ旗が広がるときにいないことは考えられなかったのだ。
 どうやって行ったのか、どうやって帰ったのか、どんな試合だったのか、全く記憶にない。ただ、この写真があることが、自分がこの日いたことの証明だ。

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30年で最も大事な日の一つ

 浦和レッズの30年は、レッズサポーターの30年でもある。
 サポーターと共に28シーズン目を迎え、今年も闘いの象徴として存在するであろう白のデカ旗が登場したこの日は、最も重要な日の一つだと言っていい。そうそう、言い忘れたが試合は1-0でレッズが勝った。
 デカ旗第1号の誕生に関わり、試合デビューに立ち会えたのは僕の誇りだ。 

 さて、みなさんは1995年3月22日、何をして何を感じていましたか?

※【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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