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6月20日(2015年) 2ステージ制導入に、最も強硬に反対したクラブが優勝

 2015年6月20日(土)、浦和レッズはノエビアスタジアム神戸に乗り込んで、J1リーグ1stステージ第16節を行い、1-1で引き分けた。

15試合無敗で優勝に王手

 2ステージ制が復活したこのシーズン、レッズは「年間王者」というより「年間勝ち点1位」を目指して開幕から順調に勝ち点を積み上げてきた。
 と言っても、Jリーグ開幕前はACLグループステージ第1節、第2節、ゼロックススーパーカップで公式戦3連敗し、3敗目が埼玉スタジアムだったので、レッズサポーターから大ブーイングが起こった。そのときキャプテン阿部勇樹の悲痛な叫びで、チームもサポーターもバラバラにならずに済んだという経緯があった。
 Jリーグは開幕から15戦無敗を続けており、しかもホームではここまで全勝。この神戸戦で勝つか引き分けるかで1stステージ優勝が決まるという状況だった。

阿部がエンドを替えた

 レッズはなぜか、このノエスタでは相性が悪かった。2008年から6年連続で勝利がなく、ここ5年は黒星が続いていたのだ。
 ただ、レッズは先述したように狙うは年間勝ち点1位だったから、ここで1stステージ優勝を決めることにこだわってはいなかった。もちろん目の前の試合を一つひとつ勝つために戦うことに変わりはないが、優勝への気負いやプレッシャーは感じていなかったはずだ。

 試合前のコイントスで勝った阿部がエンドの変更を希望。ここで思いどおりの結果が出ていないことを肌で覚えていて、その流れを変えたかったのだろう。その成果が出たか27分、武藤雄樹の左クロスを梅崎司が逆サイドで押し込んで先制に成功する。
 僕はとにかく、このノエスタで負け続けていることに我慢がならなかったので、ふだんの先制点より喜んだと思う。

MDP次号の表紙は梅崎の先制点

 後半、神戸が反撃にくるのをしのいでいたが、75分に宇賀神友弥がこの日2度目の警告を受けて退場になる。選手交代で1点を守り切ろうとしたレッズだったが、84分に同点にされてしまう。

 優勝が足踏みするのはともかく、黒星はゴメンだ。阿部がキックオフでエンドを替えたことがここで生きたと思う。神戸が攻めるのはレッズ側のゴール。残り10数分、レッズはチームとサポーターが一つになって、必死で守り切った。
 終了の笛が鳴ったとき、いつものアウェイよりひときわ大きな歓声を聞いて、ようやく僕にもステージ優勝という気持ちが強くなった。

MDPから

制度には反対だが、悪法も法

 試合後、優勝セレモニーの準備をしているのには少し驚いた。まだ17節のホームゲームが残っているのだから、そこでちゃんと優勝の式典をやるのだと思っていた。神戸のスタジアムでやるのはどうなのだろう?
 表彰式に村井満当時チェアマンが登場したとき、ゴール裏からブーイングが起きた。大きくはなかったが、比較的静かな中だからよく聞こえた。もちろん2ステージ制を導入したことに対する抗議だろう。最も強く導入反対の意思を表明したのが、浦和レッズとレッズサポーターだったのだから、ある意味では首尾一貫した態度だった。こういう晴れの場で、村井さんが気の毒だとは思ったが、責任者なのだからそこは仕方がないだろう。

 2ステージ制に反対するなら、ステージ優勝も辞退するべきだった?
 それは違う。悪法も法。決まったものには従うしかないが、ステージ優勝するクラブが、その制度の導入に最も反対しているということで再注目されると思った。
 2ステージ制導入に際してレッズとレッズサポーターが取ってきたスタンスに関しては、また書く機会があるはずでそのときに。

 ピッチに置かれた仮設ステージがレッズだけになってからが本当のセレモニーという感じだった。トロフィーを上げたときの阿部の胸には、3月4日にの叫びがよみがえってきただろうか。
 僕は思い出した。と同時に阿部が「まだ何も勝ち得ていない」と言ったら格好良いなと思った。
 6月20日は、年間勝ち点首位でJリーグ前半戦を折り返すことが決定した日、だった。

ステージ優勝後の阿部の言葉

 さて、みなさんは2015年6月20日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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