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8月11日(2018年) 偉大な記録

 2018年8月11日(土)、浦和レッズはベストアメニティスタジアムに乗り込んで、サガン鳥栖とJ1リーグ第21節を行い、0-1で敗れた。中断明けの第16節から5試合負けなしを続けていたが、リーグ戦では5月5日の鹿島アントラーズ戦以来、8試合ぶりの黒星だった。

 惜しい試合だった。主導権を握ろうとするレッズ。カウンターから前線のフェルナンド トーレスや金崎夢生にボールを集める鳥栖。拮抗した内容で前線を折り返したが、53分にCKから失点してしまった。反撃するレッズは65分、青木拓矢に代わって阿部勇樹が出場するなど中盤からの展開にバリエ―ションを持たせたが、1点が遠かった。

 阿部はこの試合でJ1リーグ通算550試合出場を達成。550試合出場は歴代4人目となるが、阿部が史上最年少だった。
 阿部はジェフユナイテッド市原ユース在籍中の1998年8月5日にJ1デビュー。以来、市原(千葉)で7シーズン214試合、レッズで通算11シーズン336試合に出場し、この日が550試合目だった。ちなみに1998年というと、現在のレッズでは伊藤敦樹と大久保智明が生まれた年だ。

 当時、阿部と550試合出場について話したとき「レスターに行ってなければもっと早く達成できたのか…」とポツリ。阿部は2010年、リーグ戦20試合に出場した時点で、イングランドのレスター・シティに移籍。2012年の頭からレッズに復帰している。もしも移籍していなかったら、ブランクの1年半弱の間に、おそらく14試合+34試合=48試合のJ1出場を重ねていただろうから、この2018年8月11日には598試合。2018年中に600試合を超えていた計算になる。生涯出場数も中澤佑二さんの593を抜いて歴代3位、いや楢崎正剛さんの631も抜いて歴代2位になっていたかもしれない。

 もちろん、阿部はレスター移籍を後悔していたわけではなく、ずっとレッズにいたらそれなりの数字になっていたな、とふと思っただけだっただろう。逆に言うと、1年半の海外移籍がありながら、このJ1出場数というのが、すごいことだ。

 鳥栖戦の次のホームゲームで、そんな阿部に敬意を表したつもりだ。

 さて、みなさんは2018年8月11日、何をして何を感じていましたか?

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