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3月16日(1996年) FIFA理事を歓迎し、勝利で締めた初の開幕戦ホーム

 1996年3月16日(土)。浦和レッズはJリーグ開幕戦を初めてホームの駒場スタジアムで行い、柏レイソルに2-1で勝利した。

1シーズンだけの通年制リーグ

 Jリーグは1993年からの3シーズン、1stステージ、2ndステージそれぞれホーム&アウェイ2回戦を行ってステージ優勝チームを決め、優勝チーム同士が戦って年間チャンピオンを決める2ステージ制だった。
 しかし10チームでスタートしたJリーグが毎年2チームずつ増え(磐田・平塚/柏・C大阪/京都・福岡)、この年は16チームになった。年間60試合はさすがに多すぎるということで、2ステージ制をやめ1シーズンの間にホーム&アウェイ2回総当たりを行う、世界標準のリーグになった。
 しかしそのままで良かったのに、翌年からよりいびつな2ステージ制に戻ってしまう。
 ちなみにリーグ戦のホームゲームが15試合だと、各クラブの収入が少なすぎるということで、ナビスコカップの予選リーグが8チームリーグで14試合という異様な多さになった。

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FIFA理事をデカ旗、紙テープで歓迎

 レッズはJリーグ4シーズン目にして初めて開幕戦をホームで迎えた。前年の年間成績が6位で、真ん中より上だったこともあるだろうが、おそらくもう一つ理由があった。
 このころ日本は、2002年ワールドカップの開催国として手を挙げており、この96年の半ばにFIFAの総会で決まることになっていた。言わば招致活動が佳境に入ったときで、FIFAの理事が視察のためにJリーグの開幕戦を訪れることになった。そこで、当時(今も)Jリーグで最もFIFAの理事にインパクトを与えるであろう、レッズの開幕戦に行ってもらうことにした。と、僕は読んだ。誰でもそう思うか。

 レッズサポーターもワールドカップ日本招致は悲願であり、クラブもこの試合にFIFAの理事が来ることはサポーターに告知してあった。「だから、ああしろこうしろ」とは言わない。どうやって歓迎するかはサポーターにお任せだった。
 当時、人文字での応援はまだ行われていなかった。レッズサポーターは赤のデカ旗に歓迎を意味する言葉を(ガムテープで)書き、キックオフと同時にスタンドから赤と白の紙テープを投げ入れた。当時としては別格の光景だったと思う。

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若武者、福永が2得点

 試合は福永泰が先制。その後追い付かれたが、後半20分に再び福永がゴール。これが決勝点となり、2-1で柏を下した。福永は青山学院大を卒業して前年練習生として新加入した選手。活躍が認められて95年の途中にプロ契約を果たした。MFでもFWでもプレーでき、小気味良いプレーとゴールへの執着心がサポーターの人気を集めた。この年は福田正博が開幕前にケガをし、いったん復帰した後さらに重いケガを負い、年間で4試合しか出られなかった。
 福永はこの年、リーグ戦28試合に出場6得点。30試合全てに出場して11得点の岡野雅行に次いでチームの得点源、チャンスメーカーとなった。

 福田のいない寂しさはあったが、加入2年目の若武者が頑張って幸せな開幕戦にしてくれた。レッズはこのあと5連勝まで勝ち星を伸ばしている。

 さて、みなさんは1996年3月16日、何をして何を感じていましたか?

※【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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