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10月21日(1998年) 2点差から追いつく粘りを見せたが

 1998年10月21日(水)、浦和レッズは国立競技場に鹿島アントラーズを迎え、Jリーグ2ndステージ第12節を行い、2-3で敗れた。レッズにとって首位獲りのチャンスだったが、逆に優勝戦線から遠ざかった日だった。

 この年、1stステージは原博実新監督の下スタートしたが、当初は布陣が固まらず苦しんだこともあり、11勝6敗で7位だった。11勝はまずまずだったが、勝ち点が減じられる延長勝ちやPK勝ちが多かった。優勝したジュビロ磐田は13勝4敗で、13勝はすべて90分勝ちだった。
 しかし2ndステージは開幕からすべて90分勝ちで6連勝するなど、好調で一時首位にも立った。この第12節を迎えたときには、首位の鹿島に勝点2差の3位におり、勝てば順位が入れ替わり、同勝ち点の磐田の結果次第では首位を奪い返せる機会だった。

 鹿島に対して、1stステージではアウェイで初勝利、しかも4-1の快勝を遂げていたので、かつてのような苦手意識はなかった。
 試合は、レッズが前半オウンゴールで失点すると58分には2点目を奪われ0-2となる苦しい展開。しかし63分に堀孝史が豪快なミドルシュートで1点を返すと、83分には岡野雅行が同点ゴールを決めた。
 国立はイケイケムードに包まれたが、残り時間で勝ち越すことはできず、勝負は延長へ。すると延長開始早々、CKから鹿島の柳沢敦にヘディングシュートを決められ、あっけなく負けが決まった。

岡野の同点弾で、いける、と思ったが

 首位とは勝ち点4差になり、順位も4位に後退した。
 だが残りは5試合。まだ優勝争いから完全に離れたわけではなかった。勝っていけば、少なくとも第16節までは可能性を感じていられた。この鹿島戦で後半0-2から追いついた粘りを、その後も発揮して欲しかった。しかし、首位攻防戦の大勝負をモノにできなかった脱力感は大きかったようだ。

 さて、みなさんは1998年10月21日、何をして何を感じていましたか?

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