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10月12日(2013年)初めて「あって良かった」と感じた制度

 今日は上の孫の誕生日。いや、それはもちろん浦和レッズの歴史とは関係ない。

 2013年10月12日、浦和レッズは埼玉スタジアムに川崎フロンターレを迎えて、ヤマザキナビスコカップ準決勝第2戦を行い、1-0で勝利した。5週間前の第1戦はアウェイで2-3だった。2試合合計3-3だが、アウェイゴールを2点取っていて、相手のアウェイゴール、つまりホームでの失点をゼロに抑えたことでレッズが決勝に進んだ。

 アウェイは逆転負けだった。前半に先制した興梠慎三が後半早々に2点目。勝ちパターンだったが、その後3点を奪われた。90分だけで結果が出る試合だったら、2点先行はよく利く“わさび”であり、レッズは完全に引き立て役だった。等々力の観客が大喜びだったのは当然だ。

 そうやって喜んでれば?アウェイゴール2点はデカいよ。

 僕は写真を撮りながら、そうつぶやいていた。もちろん悔し紛れが半分以上だったが。
 レッズサポーターにもそう思っていた人は多いだろう。ホームで1-0、あるいは2-1で勝つことは難しくないと思われた。絶対にホームで勝つ、という決意の表れだったとも言えるだろう。

 10月12日、第2戦が始まって感じたのは、川崎がいつもり後ろに重心を掛けているんじゃないか、ということだ。レッズの攻撃を防いでからのカウンター鋭さがなかった。さらに、リスタートがきびきびしていない。

 あら、守りに来ているんだ。

 面倒だな、と思った。同じ人数で守りに徹した相手をこじ開けるのはけっこう大変だ。
 一方で、行けるんじゃないかと思った。相手が寝たふりをしている可能性もあるので、カウンターへの備えは怠れないが、別に相手と同じスコアで勝つ必要はなく、このまま1点取れば勝ちなのだ。早めに楽になりたい気もしたが、それで焦っては相手の思うつぼ。試合終了までに1点取ればいい。
 ハーフタイムに川崎が攻撃の要、中村憲剛を下げたことで、ますますその様相は強まった。

 80分、宇賀神友弥に代わって出場していた関口訓充が左からクロスを上げると、ゴール前に飛び込んだ興梠が右足で合わせてゲット。待望の瞬間だった。

 その後、川崎は攻撃的な選手を入れて打開を図ってきた。しかし80分続けてきたものをスイッチ一つで切り替えようとしても遅かった。決勝への切符を手にしたレッズは残り時間、絶対にそれを手放さない戦いを徹底した。
 試合開始から、点の取り合いになっていたら、どうなっていたかわからない。

 アウェイゴール制が導入されて8年目にして、レッズは初めてその恩恵を生かしたことになる。

 そういう記憶に残ることと、孫の1歳の誕生日が重なり、記憶に刻まれているのだ。「お孫さんはいくつですか?」と聞かれたときに(レッズがナビスコの決勝に出たのは2013年。その10月12日に1歳だったから、2012年生まれ。だから…)という思考を経て、今年で10歳です、と答えることができるのだ。さらに下の孫は(姉の5歳下の8月生まれだから…)という思考を追加して、やっと年齢が出てくる。

 さて、みなさんは2013年10月12日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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