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1月9日(2010年)「チャラさ」の範囲を確認できた記者会見

 2010年1月9日。浦和レッズはサンフレッチェ広島から完全移籍で獲得した柏木陽介の加入記者会見を行った。

 フォルカー・フィンケ監督の2年目だから、同監督が必要だとした選手なのだろう。気むずかしいフィンケ氏と外見が「チャラく」見える柏木は相容れないように思えるが、監督にとってはピッチ内のプレーがすべてということなのか。とにかくレッズにはそれまでいなかったタイプの選手が入ってくるな、というのが移籍のリリースが出たときの第一印象だった。

 それに続いて思ったのが、広島ユース出身でレギュラーで活躍していた柏木を、広島が望んで放出するはずがなく、また柏木も広島を出たいと考えるはずもない。金銭的なものはともかく、レッズからの猛烈なオファーと本人の決断があって、実現した移籍であることは、たぶん間違いない。こっちも外見で判断せず、その覚悟をしっかり受け止めないといけない、と気持ちを引き締めた。

 記者会見では、まず「チャラい」のは外見だけかな、と感じた。少なくともサッカー以外の部分に限定して良さそうだった。
 古巣である広島への思いや、それを振り切って移籍の決断をしたという言葉は表面だけのものではなかったし、「挑戦」「競争」というフレーズが何度も出てくることには好感が持てた。
 前年、山田直輝らユース出身選手が何人も加入したレッズで、彼らの兄貴分として良い存在になってくれるのではないか、とも考えた。では会見中の本人の表情。

 残った課題。これが大きかった。
 記者会見で柏木の「チャラさ」の範囲は確認できたが、やはり「チャラい」部分はあるのだ。僕は53年間の人生で(当時)、こういうタイプの友人と仲良くした経験がなかった。
 どうやってアプローチしていけばいいのか。他人に相談するものでもなく、悩んだシーズン前だった。

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