郷土の誇り

 北陸新幹線が開業してから、「金沢」だけは人気が上がったようだが、県全体は決して日本の中でも目立つ地域ではないと思われる石川県。しかし自分が生まれた県については、石原慎太郎元東京都知事ふうに言うと、アプリオリに誇りと愛着を持っているから不思議だ。

 小学生のころ、石川県出身者にあまり有名人はおらず、日本銀行の元総裁がいたぐらいだ、と言われたのを覚えている。それを聞いて、「よし、俺が有名人になってやる」とはつゆほども思わなかったが、それ以降、芸能人などの出身が石川県と知ると、少しうれしくなったものだった。

 それほど多くはない石川県出身著名人の中で、僕が最も誇りを感じているのは、もちろん森喜朗元総理ではなく、松井秀喜さんでもない。輪島博(大士)さんだった。子どものころから相撲中継は、外での遊びが終わって家に帰ったころから、つまり中入り後ぐらいから毎日見ていたが、輪島さんが幕内に昇進してからは特に熱心に見た。ライバルの貴ノ花と競うように、場所ごとに番付が上がっていくのは、自分がテストで良い点を取ったときのような感覚だった。友達同士で、七尾市出身なのに輪島、という石川県民にしかわからない冗談もよく言っていた。当然、年寄りたちは大ファンであり、向かいの祖父母の家には、どこで入手したのか輪島さんの手形入りサインが飾ってあった。

 お金と女性にだらしなかったとか、派手好きだったとか、引退後はお金に困って年寄株を借金のカタにした、とかいうことはドーデモいいのだ。小学生とは違って多少モノがわかってきて悩みも出てくる中学生、さらにいろいろなことに目覚めてきて、さらに悩む高校生時代、モロモロの雑念を振り払ってくれ、純水に「黄金の左」にシビれさせてくれた時期は何物にも代え難いのだ。自分が石川県民であることが初めてうれしくなった記憶がある。

 全日本プロレスに入ったのは僕が就職してからだったが、元々プロレス好きだったこともあり、輪島さんの試合はテレビでよく見ていた。相撲のかち上げのようなショルダータックルや左手で相手の首をつかみマットにたたきつける「ゴールデンアームボンバー」に喝采を送っていた。

 輪島さんに関して一つだけ、残念なことがある。15年くらい前だったか、小松から羽田への飛行機の中で、近くの席にえらく背の高い、しかもがっしりしたおじさんがいるなあ、と思っていて、降りるときに見たら輪島さんだった。ご家族と一緒の様子だったので遠慮してしまったのだが、サインをもらわなかったことを後に悔やんだ。あれから羽田―小松便に乗るたびに注意しているのだが、一度も遭遇しなかった。

 偶像は偶像のままの方が良いのかもしれないが、やはり「石川県出身の者です。Jリーグの浦和レッズの仕事をしています」と一度だけでもご挨拶したかった。ご逝去の報に接して、そう思った。

 元横綱、郷土の誇り、輪島さんのご冥福を心からお祈りします。合掌。



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