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1月24日(2008年) 若鷲が飛び立った日

 2008年1月24日、浦和レッズの長谷部誠がドイツのヴォルフスブルクに移籍することが発表された。

 長谷部は2002年、10人の新人選手が加入したうちの一人。名門、藤枝東高校からレッズに加入。その年はほとんど出場がなかったが、翌2003年から徐々に台頭し、2004年のヤマザキナビスコカップではニューヒーロー賞を受賞するなど、人気、実力ともレッズの中心選手に成長していった。

 ナビスコ杯、天皇杯、Jリーグ、ACL。日本で獲れるビッグタイトルをすべて手中にした翌年、6年間プレーしたレッズに別れを告げ、新天地へと羽ばたいていった。
 そのときは若鷲のようなイメージがあったが、15年後のいま、まるで鳳凰のごとき威厳を持った選手になるとは想像できなかった。

 レッズでの最後のプレーは、2007年のFIFAクラブワールドカップということになるが、僕が撮った中で一番好きなハセの表情は、このトップに上げたものだ。2005年9月3日、Jリーグ第22節鹿島アントラーズ戦。前半2点を先行された試合で、柏原丈二主審によって両チーム合わせて11枚のイエローカードが出される大荒れの一戦だった。11枚目のカードは60分、闘莉王への2枚目だった。つまりレッズは2点ビハインドで10人になるという絶体絶命のピンチに立たされたのだ。

 ところがそこから77分に田中達也が1点を返し、さらに86分、ロブソン・ポンテが同点ゴールを決めた。時間も時間だし、1人少なくて同点。アウェイの鹿島戦。いろいろな要素から、このまま勝ち点1でも仕方がないと考える選手がいてもおかしくなかった。
 しかし、いち早くボールを抱えてセンターサークルに急いだハセは、途中で振り返りチームメートに「もう1点行くぞ!早く戻ってこい!」と怒鳴ったのだ。いや、実際にはなんと言ったか聞こえなかったが、この表情はそうだろう。
 僕は、この日長谷部誠という選手をあらためて見直した。

 そしてレッズを離れた15年前のきょう、あの日のハセの表情を思い出したのだった。

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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