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7月30日(2011年) 苦しかったこの年に2タテさせてもらいました

 きょう、この話題を取り上げられるとは、面白い。

レッズ対川崎、対戦の歴史

 浦和レッズの、川崎フロンターレとのJ1リーグ通算対戦成績は11勝9分け15敗と、4つ負け越している。特にここ3シーズン半は2分け5敗と勝ちがない。4つの負け越しは2019年以降に生まれたものだ。
 35試合の通算対戦成績を並べてみても、FC東京とのそれのように、勝てない時期、負けない時期が顕著になっているわけではない。しかしシーズンごとに見ていくと、ちょっとだけ興味深いことがある。ちょっとだけだが。

2タテは互いに2回ずつ

 その年の対戦を2試合とも制すること、いわゆる「2タテ」をしたシーズンがお互いに2回ずつある。
 川崎がレッズを2タテしたのは、わりと最近で2017年と2020年。2シーズンとも川崎がリーグ優勝したときで、当時の強さを反映していると言っていいだろう。
 ではレッズが川崎を2タテしたのも、そういう年なのか。実は優勝した2006年は1勝1分け、年間勝ち点1位になった2016年は1勝1敗だ。では、いつだ?

 2011年7月30日(土)、浦和レッズは等々力競技場に乗り込んで、川崎フロンターレとJ1リーグ第19節を行い、1-0で勝利した。7月13日に埼スタで勝ったのに続いての完封勝ちだった。川崎をシーズン2タテしたのはこれが初めてだ。

 7月13日にホームで対戦して、同じ相手と30日にアウェイで戦う。ふだんのリーグ戦ではなく、東日本大震災によってリーグ戦が組み直されたため、こんなJリーグカップのノックアウトステージみたいな短いスパンでの2戦になった。
 レッズは当時4勝9分け5敗で12位。シーズン前半はドローが多くなかなか勝ち点が伸びなかった。5連続ドローを4つの黒星で挟まれた9試合勝ちなし、という時期もあった。だがこの第19節のころは3勝4分けと、ドローの多さは変わらなかったが7試合無敗という上向きになっていたのだ。

MDPから

 試合は川崎ペース。圧倒されたと言っても良かった。しかしレッズが10分にオウンゴールで先制する。
 14本のシュートを浴びながらゴールを割らせなかった殊勲者はGK加藤順大。この前節のヴァンフォーレ甲府戦で、失点を阻止するために飛び出したプレーで退場となっていた。1試合の出場停止は3日前のJリーグカップで消化し、この試合が復帰戦。枠内に来たボールを見事に全てセーブした。
 この勝利でレッズは勝敗を五分に戻し順位も10位に上げた。シーズン後半の巻き返しへ非常に良い勝利となったが、負けなしも長くは続かず、終盤に向かって苦しい戦いになっていった。

 最終的に勝ち点3差、つまり1勝分で残留が決まったこの2011シーズン。2勝させてもらった川崎には感謝すべきなのかもしれない。特にこの2勝目はオウンゴールだし。
 ちなみに、もう一つ、川崎から2タテをしたシーズンは2018年。そう、川崎がJリーグ2連覇した年だ。レッズが最悪だった年と、川崎が絶好調だった年にレッズが2タテ。これが興味深かった部分だ。

11年前の今日は等々力。メーンも赤でいっぱいだった

 さて、みなさんは2011年7月30日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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