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3月23日(2014年) 無観客試合。その前後に僕が考えたこと

 2014年3月23日(日)。浦和レッズは清水エスパルスとJリーグ第4節を行った。
 スタンドに誰もいない埼玉スタジアムで。

サポーターは試合の一部、を痛感

 3月8日(土)、コンコースに向けて「JAPANESE ONLY」と書かれたダンマクが掲出され、クラブがそれを長時間放置したことの責任を問われ、Jリーグから無観客試合の開催を命じられた。その試合がこの清水戦だ。

 試合は1-1のドロー。前半、清水に先制されたが後半31分、この試合がJリーグデビュー戦となった関根貴大の右クロスから原口元気が同点ゴールを決めた。
 ピッチで22人が躍動するだけの埼スタは、違和感がいっぱいだった。どんなプレーにも、敵味方の得点にさえ反応がない。サポーターの存在は試合の一部であることをわかっていたし、自分でもそう言い続けてきたつもりだったが、こんな形で痛感することになるとは思いもよらなかった。

外部へは事実のみを伝えればいい

 この試合、スタンドにサポーターは皆無でも、記者席にはいつも以上の記者がいた。「オフィシャル・マッチデー・プログラム」と書かれた僕のADカードを見て、話を聞きたいと言ってくるメディアもあった。

 僕は、あることを決めていた。
 起きてしまったことは打ち消せない。「JAPANESE ONLY」というダンマクは、掲出者の本意がどうあろうと、差別的と受け取られるものだ。
 しかし「差別」ということに関するレッズの歴史だの、今回の背景だのは、クラブスタッフやサポーターらの“身内”だけで語ろう、と思った。外部の人が見るものには一切書くまい、語るまい、と。
 いろいろと憶測も交じった文章が出始めていた。内部でとことん話し合うことは大事だが、外部に中途半端な何かを知らせる必要はない。外部への発信はクラブに任せて、生々しい話は身内としかしない。それが、この前日と前々日で約100人のサポーターとミーティングをして出した結論だった。

茨の道が始まる予感

 そして無人のスタンドを見て思った。
 次のホームゲームでは、またスタンドにサポーターが戻ってくる。だが、それは以前のスタンドとは違う。どんなスタンドになっていくかは、これからにかかっている。無観客試合は今日だけだが、ここからが新たな出発であり、間違いなく茨の道だと。

MDPの号数にこだわり

 ところで、この日のMDPをどうするかは二転三転した。
 サポーターがスタジアムにいないのに、どうやって売るのだということはひとまずおいて、僕は発行することを主張した。
 いつものMDPとは性格が少し違う。「今日はスタジアムで応援できないが、テレビの前で勝利を願っている」「選手たちに迷惑をかけて申し訳ない。次の試合では今日の分も応援する」などのサポーターの声をいっぱい載せて、試合前にロッカールームで選手たちに読んで欲しかったのだ。
 だが、「清水戦はレッズが罰を受ける日。いろいろなものを自粛しなくてならない。MDPは出せない」とクラブは決定した。なるほど、Jリーグに対して恭順の意を示す、ということか。

 メディアから「Jリーグで最も古い歴史を誇るマッチデー・プログラムが発行されない試合になる」という言われ方をされたときも、寂しくはあったが仕方がないと思っていた。
 ただ、あるクラブスタッフから「これで、ホームゲームの数とMDPの号数が同じになるからいいじゃない」と言われて気が付いた。

そんな簡単なものなのか?

 レッズのホームゲームでは欠かさずMDPが発行されてきたし、ホームゲーム以外ではたとえ発行されても「特別号」として号外扱いにしてきたから、ホームゲームの通算数とMDPの号数は一致するはずだが、実際は号数の方が「1」多かった。これは1997年の1試合が、キックオフ後に雷雨中止となり、再試合においても新しくMDPが発行されたためだ。
 この無観客試合でMDPが発行されなければ、過不足がなくなって、ちょうど良いじゃないか。そのクラブスタッフはそう言ったのだ。

 それでいいのか?
 まるで山も谷も何もなかったような平らになることが良いことなのか?
 違うだろ! そんな簡単なもんじゃないだろ!
 2014年3月23日は試合があるのにMDPが発行されなかった日として後世に残さねばならない。どうすればいい?
 悩んだ末に、次号のMDPを「444+445号」とすることにした。違和感はこの号だけで終わってしまうが、とりあえず雷雨中止も無観客試合もなかったかのような号数になることだけは防いだつもりだ。かなり自己満足だったのかもしれないが。

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 さて、みなさんは2014年年3月23日、どこで試合を見て、何を感じていましたか?

※【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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