あとがき

 タイトルの「自然と時間」は、朝日新聞国際報道部次長の青山直篤氏の次の文章中の文言に拠っている。

21年に初めて取材したミラノビッチさんは、谷崎潤一郎のファンだ。以来、私も「細雪」などの再読を続けてきた。そこには、四季の円環のなかで人生をとらえ、美しくも時に残酷な自然や時間との共生を探る日本人の感覚が見いだせる。格差や環境破壊などの課題が山積し、二つの「陣営」に分裂しつつある世界。日本が果たすべき責任を改めて考えさせられた。

(朝日新聞2022年10月16日掲載)

 これは、経済学者ブランコ・ミラノビッチ氏への「二つの資本主義 危うい対立」というインタビュー記事に付けられた「『細雪』の日本 役割は」という、「取材を終えて」という趣旨の文章である。オートフィクション風の文章を書きながらそのタイトルを考えあぐねていた私は、青山氏の文章中の、「美しくも時に残酷な」という語句に惹かれて、私の本の書名を決めた。
 当初は中扉の表題の脇にこの青山氏の文章の一部を引用しようとしたのだが、しかし、これが、「細雪」、谷崎潤一郎、ミラノビッチ氏、資本主義などが重なり、その最も外側が「朝日 地球会議 2022」という、何重にもわたる入れ子の最深部にある文章のため、引用を諦め、ここで紹介することにした。記して深謝したい。


佐崎紫郎

改訂版あとがき

 この作品の旧版は、あまり計画的に書き出したのではなく、しかも途中でモチーフが大きく変化したので、記述に混乱が残っていた。それは記述方法にも関係し、たとえば、旧版では紀伝的な記述が多く、事項が時代を跨ぐので、重複が多かった。そのことは書いている段階でも気になっていたのだが、続編を書きだしてから改めて意識せざるを得なかった。従って、今回の改訂では、そこにかなり手を加えて、努めて編年的にまとめ直し、年譜的に時期が遅い部分は切り離して続編の記述にゆだねることにした。ある程度まとまっている各記述の一部を改変するのは、当初は抵抗感があったが、作業が進むに連れ作品の構成が分かりやすくなってきた。結果的に、文章もすっきりして、作品として飛躍的に良くなったと思う。紀伝的な記述が残っているのは、必要上やむを得ないごく一部にとどまるが、おそらく、それさえも工夫すればもっと整理できるだろう。
 旧版の「あとがき」で、「オートフィクション」と記している。私の意図は、必ずしも全てが事実であることを保証しないという、「自伝的小説」のような意味である。単純化すれば、エピソードごとに、〈自伝的な外枠と小説としての内面〉から〈小説的な外枠と自伝的な内面〉までの組み合わせがあり、さらにそれぞれの濃淡があるので、結果的に多様な記述が混在していることになる。
 それは当然と言えば当然で、今さら原則論でもないが、我々の言動は多層的、多面的で、相互に矛盾だらけで、しかも無意識が大部分を占めている。たとえば私は、キンキンにキメた服装で外を歩きたかったし、一分の曖昧さもないキレキレの意識と行動で人生を送りたかった。しかし、現実の私の人生は、残念ながら、外見も内面も、全くそうではなかった。そして、その私をあえて文章で表現するという意図的な作業を通せば、一見分かりやすくはなっても、それは真実からはむしろ遠ざかる。さらにそのような、家族といえども矛盾と葛藤に満ちた人間が複数登場すれば、事実は何であるのか、真実はどこにあるのか、すでにして判断できる世界ではない。
 だから、むしろ、こう言う方が実際に近いのだろう。ここで書いていることは、全てがフィクションなのだ、と。 

2024年2月3日 記


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