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フロイト——科学の問題児と社会学の懐

フロイト。
精神分析学なんて学問には、誰も興味がないことはとっくに昔に知っている。
けれど、ぼくはフロイトのスゴサを知っている。
フロイトがなぜスゴイのか。フロイトはどうスゴイのか。
こういうことを言語化するのは、ぼくがこのライティングプロジェクトを始めたときの目標のひとつなのだ。
フロイトの面白さと凄さを伝達することも、ぼくが人生でやらねばいけないことのひとつなのである。
本記事は、物語形式で展開される。
ぼくの中のフロイトというヒーローが失落して、社会学という学問の出会いによってもう一度、ぼくにフロイトに還る勇気をもらった話だ。


ぼくと社会学との出会いは、大澤真幸の『社会学史』という新書だった。
社会学という学問の歴史が網羅的に書かれており、この学問がどこへ向かって、どこへつながっているのかをぼくに教えてくれた。
この本の主張で特に面白いのは、ウェーバー、デュルケーム、ジンメルだけでなくフロイトやマルクスなども社会学者として包含していることだ。

ぼくは、大学へ入る前から、ジークムント・フロイトを学びたいという気持ちがなぜかあった。なぜここまでフロイトに魅せられていたのかはよくわからない。
しかし、いざ大学に入ってみるとフロイトの名前は辺境に追いやらていることに気がついた。
一般教養で受けた心理学史の授業でも、フロイトの名前はでもほとんど登場せず、その弟子のフロムやアドラーも現在の心理学の亜種という位置づけであり、とてもさみしい気持ちになった。
そして、2回生のある講義でぼくは衝撃的な事実を知った。
それは、『史学論』の教授が放つ一言がぼくのこころをえぐるのだった。

「精神分析なんて科学じゃなくておまじないです。あんなのが一部の学会にまだ名前が残ってることが私には信じられない」

ぼくにはこの言葉とてもショッキングだったのだ。
あこがれのヒーローがボロ雑巾のように扱われていた瞬間に立ち会ってしまい、大学という空間そのものに嫌気すら指したのを覚えている。
そして、これまでの学びの名前でフロイトの名前が辺境に追いやられていることとも合点がいった。
「フロイトは心理学者」。この倫理の教科書にも載っている常識は、見事に覆された。
「あ〜フロイト。無意識について言及した人ね」程度の認識で誰もが通過してしまい、名前は覚えていてもその偉業の数々は闇に葬られていた。


その日から、ぼくの本棚からフロイトの『精神分析入門講義』は、奥へしまわれた。背表紙の名前が見られたら、恥ずかしい本として奥へしまわれて、その本との格闘もやめてしまった。
大学院に行きたいと漠然と思っていたぼくにとって、フロイトの名前を出すことは恥ずかしいことなのだと思った。


でも、その一方で、
フランクル、アドラー、ユング、フロムなどさまざまな心理学者の本を読むことがぼくには楽しかった。
これは趣味なのかもしれないけど、これは科学とは言えないのかもしれないけど、ぼくには彼らの言葉がすべてだった。
そして、彼らの言葉の一つひとつがぼくの人生の支柱になっていった。


『君が生きる意味』
『嫌われる勇気』
『すべてはモテるためである』
『愛するということ』
『生き延びるためのラカン』

ぼくの人生を変えた5冊だ。フロイトを中心とする彼らは、ぼくにとっては戦隊ヒーローになっていった。
大学の勉強をなおざりにして、下がるGPAを尻目にのめり込んだ読書だった。
それぞれ5冊を何度も読み直した。
そして、ぼくは彼らの心理学(的なもの)に救われた。
だから、ぼくにとって彼らの酩酊の声は、学会の嘘つきかもしれないし、共同体感覚も集合的無意識もそんなものは存在しないのかもしれないし、科学ではないのかもしれない。
それでも、ぼくには彼らの言葉一つひとつが「絶対正しい」という思い込みに近い確信があった。

しかし、こうした酩酊の声はエセ科学の名の下に、どんどん合理性と正しさによって駆逐されている現状がある。
だから、大学の勉強の一部はぼくにはつまんなかった。
この夜遊びがぼくにとっての学問であり、研究活動だったのだ。

そんな時に、出会った一冊がこの『社会学史』だった。
大澤真幸は、フロイトを社会学者として扱った。
そして、その本の中でフロイトの理論の説明をしてくれた。
わかりやすい説明で、理解が染み込むのがよくわかった。

そして、もう1人フロイト派の知見をやたらと引用している社会学者がいた。
宮台真司だ。

彼はNewsPicksのウィークリーオチアイに登場して、まくしたてるように喋り立てた。
「クズ」という言葉で釣り針を垂らしながら、言葉巧みにお説教する彼の言葉は聴いていてとても心地よかった。そして、彼はフロイト派の言葉をやたらと引用していた。共同体感覚は、存在するものだと断言していた。

やっぱりぼくは間違っていなかったのだ!

この2人にぼくは感染していた。
あの史学論の講義の中で、完全に閉ざされたぼくのアカデミックへの道は、
この2人によってもう一度開かれたのだ。

ぼくの本棚の『精神分析入門』のその背表紙が堂々たるや。
社会学はすばらしい。だって、フロイトを受け入れる懐の深さがあるんだぜ?
社会学ってすごくない?
フロイトってすごくない?

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