過去の私の俳句を斬る⑦
昔の自分と、俳句を通じて対峙する。
この土手と憶へてをりし土筆かな 新治(平成27年)
季語は、土筆。
去年と同じような場所に、今年もまた生えてきた、ということでしょう。土筆が摘めるスポットは、私自身も記憶していたけれど、土筆の側も忘れずに出てきてくれた、と。
まず問題なのは仮名遣いの誤り。
「憶える」は、文語では「憶ゆ(おぼゆ)」。ヤ行下二段活用の動詞ですから、「へ」という表記はありえません。「憶え・憶え・憶ゆ・憶ゆる・憶ゆれ・憶えよ」と活用します。
「え」を「へ」に単純に置き換えて文語っぽくしようとして失敗したのですね。正しくは「憶えて」です。
次に問題なのは文法の誤り。
よくやりがちなのですが、助動詞「き」は過去の助動詞なので、今現在、目の前にあるモノや状態を読むときには注意が必要です。
「をりし」だと、「(過去、そのような場所に)居た」というような意味になるのかと思います。(「し」は「き」の連体形)
また、「き」過去の助動詞の中でも「体験過去」といって、「自分が直接体験したこと」と表す語とされますので、土筆のことを言うのは、違和感があるかもしれません。
まとめると「この土手と憶えてゐたる土筆かな」ぐらいにすべきところでしょうが、何となく間延びした感じがします。また、土筆を擬人化して、空想して、さらに一歩離れて見ている状況のため、他人事のような印象も持ちます。
土筆を摘むワタシを中心にした一人称の内容にして、「他人事感」を減らせば、句にリアリティが生まれそうですね。
そこで、昔から、皆、ここで摘んできた土筆を、今、この瞬間に私も摘んでいますよ、という内容にして、
代々といふこの土手に土筆摘む 新治
といったところでしょうか。ただ、ちょっと散文的なので、上下をひっくり返して、
土筆摘む代々といふこの土手に 新治(令和3年)
としたいかな。字面の上でも、リズムの上でも、こちらの方が良さそうです。
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