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【日記】きっかけがいなくなる

チャラーン

林家こん平師匠が亡くなった。2004年から長い期間病と闘われていた。もう一度あのチャラーンが聴きたかった。

私が物心ついたころの笑点。メンバーは司会が先代圓楽。メンバーは左から好楽、小遊三、木久蔵、歌丸、楽太郎、こん平。座布団運びは山田。

言っても私が2歳とか3歳のころなので、「うまいこと言いはるなー」なんてことはわからない。正直楽太郎さんや歌丸さんの答えで笑える年じゃない。

それでもリアクションが大きく元気なオレンジの人がとにかく印象に残った。もっと言えばひらがなだから名前が読める(「平」ぐらいは何とかなる)。オープニングのアニメも大体何か食べてるから覚えやすい。

挨拶の締めに「こんぺーでーす!」と叫んだり、山田くんに突き飛ばされたり、座布団を取られるたびに「オイっ!」って悔しがったり。そういうのが楽しくて一番端っこのオレンジの人を楽しみに笑点を見ていた。

チャラーンも最初は猪木の「ダー!」みたいなのじゃなくて、周りのメンバーも冷ややかな感じで見てたのが、いつの間にかお客さん総出での挨拶に変わっていって「おー、すげえ!」って思ったのを覚えている。継続は力なんだろうか。

2004年に病気療養に入られて、すぐ戻ってくるのかなと思ったらとんでもない病気だった。

闘病中のドキュメントなども何度か拝見したが、結局高座に戻ってくることなく、あちらに旅立たれた。

何というかさびしい。何かにはまったときの、いわゆる「沼」の入口にあった立て看板がどこかに行ってしまったような感じで。

もちろんお弟子さんのたい平さんが芸風も引き継いで一部やっているところはあるけれど、オリジナルはもう見れないのかと思うと寂しい。

ほら、よくこん平師匠、地方収録2週目の時に言ってたじゃないですか。「私のカバンの中にはまだ若干の余裕がございます」って。直接何かお渡しすることはもうできないけど、こういったことを思い出すことで、カバンの中が埋まっていけばいいな。そんで四十九日の時にひーひー言いながら向こうにたどり着いてほしい。

ちょっと自分の事

体調を悪くして1年、ようやく薬が減りました。

…と言うかこの1年症状が変わりながらずっと病院にかかっているわけで。

胃薬を頓服として使う形となるため量が減るという流れになりました。

なお、残ったのは抗不安薬ともう1種類の胃粘膜を保護する薬。ここで切り分けて何にもなかったらこのまま続けようという形に。そう、原因がストレスになりつつある感じです。

ストレスリリースの下手くそ加減についてはここまでも何度も書いてきたとおりですが、何とかなれればいいなと思ってます。薬だけに頼るわけにはいかないし。

とりあえずこん平師匠を偲んで呑むか…

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