歴史の学び方 〜なぜ歴史を学ぶのか〜

僕はしばしば、講義などで歴史の話をします。勿論、説明したい内容に関わるものなので、高校までの授業のようなものではありません。
歴史を学ぶといっても色々で、例えば純粋に「歴史が好き」という方もいますし、僕のように専門分野を学ぶ過程で歴史を学んだという人もいます。

今回、テーマを「歴史の学び方」としましたが、歴史を学ぶ意味や役割は人それぞれですから、全てに当てはまることではありません。
しかし僕の周りでも、多くの高度な専門家は、殆どの人がその分野の歴史を学んでいて、その知識を実務に役立てています。

そのため今回は、専門家がなぜ歴史を学んでいるかということも含めて、僕が必要と考える歴史の学び方について述べたいと思います。

・イノベーションを理解する
イノベーションについては、マネジメントをテーマに書きましたが、ここでは歴史の視点から考えます。

イノベーションという言葉はシュンペーターが生み出したものですが、彼はいくつかの経済循環理論からイノベーションが起こる要因を述べました。
講義でこの話をするとき、必ず産業革命の話をします。
一般的に、「蒸気機関の発明によって産業革命が起こった」と記憶している方が多いかと思いますが歴史的な順番を説明すると少し不十分です。
この頃のイギリスでは、様々な理由から(興味がある方は調べて下さい、その方が勉強になると思います)、工業生産を拡大する必要に迫られていました。既に毛織物の工場では、水車などを利用した機械化が進められていましたが、それでも生産量を満たすことができず、新たな動力機関の発明が求められていました。
政府の後押しもあり、多くの研究が行われた中で、実用に足る動力機関として生み出されたのが蒸気機関でした。

歴史の‘部分的’事実としては、「蒸気機関が産業革命をもたらした」で正しいのですが、その前後や因果関係を考えた場合、イギリス経済や産業は、イノベーションを必要としていて、政策転換を行ったことで、「産業革命」というイノベーション実現したことになります。

この事実を、シュンペーターは「技術が需要を生むのではなく、需要が技術を生む」と言っています。
こうしたことを理解していれば、日本はイノベーションを「技術革新」と誤訳することなく、もっと前にイノベーションを実現し、‘失われた30年’は回避できたかもしれません。

少なくとも社会科学において、歴史を学ぶということは、社会の変化や問題の因果関係を明確にして、導き出したい答えを見つける背景になります。

・まちづくりに必要な歴史.1
まちづくりの場では、「まちの歴史」の勉強をしている姿をよく見ます。これについて否定はしませんが、僕は時々違和感を感じます。

僕は経済学や交通論の立場から、いくつかのまちづくりに参加しました。今でもまちづくりの現場に招かれることがあります。
その中で見る「まちの歴史」の勉強、例えばその地域の有名な歴史的史跡を中心としたものや、そのまちの最盛期の姿、昔のまち(昭和や戦前)、、、パターンとしてはこんなところでしょうか。
これがいけないとは言いませんが、こうした歴史をいくら深堀りしたところで、これからのまちづくりに何か生きるとは思えません。

僕が言う「まちづくりに必要な歴史」は2つあります。

まず1つ目は「まちづくり」そのものな歴史です。
日本でまちづくりが始まったのは1960年代から。戦後の発展から都市部に人が集まり、地域社会の形が急激に変化したことから、「まちのコミュニティ」がテーマでした。
これが1970年代後半になると、人口減少の著しい地方都市の活性化、いわゆる「まちおこし」が中心になります。、
この傾向はかなり最近まで続いており、そこに建築の考え方を元にしたワークショップなどが一般化します。これも悪いとは言いませんが、まちづくりに必要な機能を満たしているとは考えにくいです。

そして今求められるまちづくりは、明らかにこれまでのものとは違います。

・まちづくりに必要な歴史.2
僕がまだ大学院生の頃、過疎交通調査の研究がありました。過疎交通で議論になる話として、「居住移転の自由」があります。
「好きで不便な所に住んでいるのだから文句は言えない」という意見があるのてすが、、、

後からその地域に移転したのならともかく、代々その地域に住んできた人は、その地域の産業に根付いた生活をしてきました。
しかし第二次世界大戦後、社会の様相が大きく変化する中で、ある地域では産業連関が変化し、ある地域では人口増加を満たせないなど、様々な理由から、特に地方の過疎化は進みました。

こうした「社会の変化と地域」という歴史的流れも無視することはできませんし、むしろその中に、今後のまちづくりに必要な視点が含まれることも少なくありません。

こうした「全体的」な歴史を見ることも必要です。

このように、歴史を学ぶ意味は様々な側面がありますが、共通して言えることは、「コラからの〜」を考えるためには、そのために‘必要’な歴史を学ばなけれなならないということ。そしてそこから、未来を考える‘エビデンス’を見つけることが大切になります。

もし何が実現したければ、「歴史を学ぶ」ということにも目を向けて頂ければと思います。

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