年の瀬に今年を振り返る

今年は新型コロナウイルスの影響が明け、ある面では世の中がコロナ以前に戻りました。しかし一方で、パンデミックの間の変化が、「正常」として動き出したようにも思います。

少しだけ個人的なことを話しますが、今年は4月いっぱいまでは家のことで、5月後半からは自分の体のことで少し大変な年でした。そのためかなり動きが鈍くなってしまいましたが、その分、色々なことを考えることができました。

その中でも多く考えたのが、これからの社会がどう変わっていくのか、何をしなければならないかということです。そして最も口にした言葉は、「慣例に従わない」「変化に合わせて変える」というものでした。

1960年代から1970年代にかけての約20年間、イギリスは長期的な不景気に見舞われました。これを一般的に英国病と呼びます。しかし日本はこの期間をはるかに超えた日本病、つまり失われた30年を過ごしてしまいました。

しかし多くの産業や企業では、今だに20世紀の慣例が蔓延しています。

失われた15年を超えた頃、2000年代後半に、研究者として、とあるまちづくりに参加していましたが、ここで繊維卸業の経営者から「問屋無用論がおかしかった」という言葉を聞いたときは開いた口がふさがりませんでした。
2010年代半ば、既に失われた20年を超えてから、経営者の集まりの講師を依頼された際、「昔はこうやって儲けたと、バブル期の話をしていたのには、言葉も出ませんでした。

そして今年、同じように「昔は」や「自分たちはこうやってきた」と語る、特に60代以上の方の言葉を多く聞きました。
今、明らかに社会の価値観が変わる中で、昔話を持ち出されても、、、こういう言葉は使いたくありませんが、残念ながら「老害」と揶揄されても仕方がないでしょう。

こうした人以外にも、今年は「今まで通りにいかない」などといった言葉をよく聞きましたが、かなりうんざりさせられました。

ところで、僕の大学勤務時代の教え子が、今若手の子に「考える」ということを指導しているとのことでした。
教え子が「若手の子」と言うのを聞き、少し驚きましたが、彼ももう35歳ですから当然です。

さて、ここで出てきた「考える」ということについては、ロジカルシンキングの講義でも初回に行います。学生さんには、「考える」と「思う」の違いについて、意味を調べたり、例文を作ったりして、徹底的に考えてもらいます。

教え子にこの話を伝えたところでふと思いました。「多くの日本人は考えていないのではないか」と。

「以前はこれでうまくいっていたから」とか「ずっとこの方法でやってきた」とか、明らかに思ったことをやっているだけで、とても考えているとは思えません。そして「社会の仕組みが悪い」とか「世知辛くなった」などというのは、やはりなぜ世の中がそのように変化したのか、考えているとは思えません。

そもそも‘失われた30年’というのであれば、この30年の方法は間違っていたことになります。しかも近年の社会の変化は、著名な哲学者達が「活版印刷発明以来の大変化」と言っているほどのものですから、「これまで〜」などというのは全く通用しません。

だからこそ、今年は「慣例に従わない」「変化に合わせて変える」ということを、様々な場で話してきました。
こうしてあらためて考えてみると、僕が今年話してきたことは、「自分で考えて判断する」と同義語だったように思います。

今年は奇しくもChat GPTというAIが大流行しました。インターネットでは、こうしたAIの使い方や「AIをビジネスに導入」などという文章を嫌というほど見せられましたが、僕にはどれも的を得ているとは思えず、文字通り「考えない人」に向けた広告に見えましたし、これが事実なのでしょう。

とある著名な経営学者は、2024年は、変化の状況を「観察」し「判断」し、「実験」することが求められると述べています。

そうしたことなどから、僕は、今年は「考える人」と「考えない人」が分けられた年になったのだと思います。
そしてこの差は、来年以降の明暗として、明らかになるのではないでしょうか。


そんなふうに考えています。

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