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過去の物にするのはまだ早い

サザエさんやちびまる子ちゃんのような暮らしを懐かしいと感じる大学生が一定数いるようです。その人達は実際その暮らしを体験していないのにもかかわらず、なぜそのように感じるのでしょうか。

「家族らしい家族だから」
「道具や雰囲気に懐かしさを感じる」

そのような意見が授業では取り上げられていました。
体験したことがないけれどどことなく懐かしさを感じる。
それは家族の在り方の変化が、、、と授業は続いていきます。

一方私は

なぜ懐かしいと感じるかって??

それは自分の幼少期の家族構成と似ているからです。
ベッドではなく布団だったし、料理するところと食べる場所は別、道具もどことなく似ているような、、、

だから懐かしいと感じる。
というのは少数派のようです。

私はこの授業で不思議な立ち位置というか浮いています。

その授業は家族の在り方、社会の変化を学んでいくものです。

「以前は家同士の繋がりが強かったため無断に人の敷地内に入るのは当たり前でした。」

「ご近所で食糧や調味料を分け合うのは当たり前であった。」

そんな形で紹介されていき、学生は過去の出来事のように学んでいきます。

でも、私は違います。

私の幼少期に家に無断で近所の人が入ってくるのは当たり前でしたし、ご飯時にお客さんが来れば家主以外の家族は場所とご飯をお客さんに譲って別の部屋で再度ご飯を用意して食べていました。
食糧を近所で分け合うのは今でも当たり前でごんぎつねかのように気がつかない内に玄関に野菜などがおいてあるのが日常です。

さらにさらに、こんな質問が

「皆さんは田舎の実家のことをご存じですか?」

今は実家を知らない若者も増えているようです。
自分が生まれた家を実家としている人が増えていて、”本家”の存在を知らないようで自分の家の始まりがわからないのです。

「皆さん将来家のこと、両親のことをどうしようか話し合っていますか?」

両親のことを老人ホームに入れられるように、もしくは両親と一緒に住んで介護をしていきたい。家は取り壊してもいい、空き地になるだけだから。そんな意見が多いです。

でも、私は違います。私の家は本家の隣に住む分家だからです。
将来心配なのは親もですが、土地です。
この土地をどうしていくのか、これを放棄したら地域の人の迷惑になってしまうので地域のことも考えなければなりません。

先生は私は珍しい例だと言っていました。
家族だけではなく土地、地域の存続も背負っている例。

自分は少数派なのだと分かると、自分が地元にこだわるのに新たな理由が見えました。
この土地を放棄すると近所、地域に迷惑をかけることになってしまうので、土地を継続するためにもこの場所で生きて行く方法を見つけなくてはならないのだと無自覚に思っていたようです。

それと同時に、私は現代では薄れていると言われる地域コミュニティが比較的活発なところにいます。だからこそ、地域コミュニティを作ることに関してそれほど難しいと思っていません。

隣の顔を知っているのは当たり前で、何かが余れば近所の人にあげればいいじゃんと言った思考を持っています。それが現代では難しいと言われても、ちょっと理解出来ないところがあります。

既に過去のことのように取り扱われていることもありますが、現代の基準はどこなのでしょうか。1番発展しているような都市部なのでしょうか。それを基準にしていたら差は開く一方です。

とにかくこの記事で言いたかったのは、過去のものを過去にするのは早いし、そこに絶対に地域を創っていくヒントがあるはずということです。現代は統一されていないし、統一することも出来ません。必ず生まれる差を格差と考えずに、今自分達はどこにいるのかを考えることが大事です。

過去に戻ることも、すぐに発展の格差を埋めることも出来ませんが、地域にあった形で新しくしていくことを考えることが必要になります。
その新しくする形を住民が持っているとは限りません。歴史を知らなければ先端を追うだけなので。
地域活性化の答えは必ずしも地域住民が持っているわけではなく、楽しければいい、今の住民のためになってればいいというわけではありません。

それを理解しなければならないのだと授業中に考えていました。
まとまっていなくてすみません。

読んでいただき、ありがとうございました。


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