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トルストイ『戦争と平和 第三部第三篇』読書会(2024.3.29)

2024.3.29に行ったトルストイ『戦争と平和 第三部第三篇』読書会のもようです。

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解説しました。


日本人の潜熱


(引用はじめ)

出て行こうとし、最初に出て行ったのは裕福で、教養のある者たちで、ウィーンやベルリンが無傷のままだったこと、そこではナポレオンの占領中に、市民たちが魅力的なフランス人といっしょに楽しく時を過ごしたことを知っていた。しかもそのフランス人たちが当時のロシアの人びと、とくに、ご婦人たちは大好きだったのである。

彼らが出て行ったのは、モスクワでフランス人に支配されるのがいいか悪いかなどという問題は、ロシア人にはあり得なかったからである。フランス人に支配されることはできなかった。ロシア人にはあり得なかったからである。(P.46)

(引用おわり)

昨日、ゴダールの最後の映像作品、『遺言/奇妙な戦争』という20分くらいの映画を観てきた。ロシア語を話す男の声が聞こえ、フランス人の女性の声で、「ロシア語はやめて、信用ならない言語よ」と答えるシーンがあった。

ロシア人とフランス人は、仲がいいのだか悪いのだかよくわからない。フランス人の極右、とりわけ国民戦線の党首ルペンなどはプーチンとわりかし仲が良い。新左翼的な理念を捨てなかったゴダールは、右翼が嫌いだろうし、ロシアも嫌いなのかもしれない。そして、フランス大統領マクロンは、キーウやオデッサにフランス軍を派遣すると息巻いている(2024.3末時点)

我が日本のことを思えば、太平洋戦争の無条件降伏というのは、過酷であったと思わざるをえない。連合軍に無条件降伏することによって、日本人の精神というのはすっかりアメリカ人に支配されてしまったのではなかろうか。ロシア人にはありえないことが日本人に起こってしまったといえなくはないかだろうか。米軍基地が日本にあるというのが当たり前という感覚で戦後80年近く暮らしてきているということは、日本ではありえても、ロシアではありえないだろう。日米同盟が築いてきた平和が、日本の戦後の経済的繁栄をもたらした時代が、終りを迎えつつある。

日本がナポレオン戦争におけるロシアのように侵略戦争の被害国であるならば、焦土作戦もあり得ただろう。だが、第二次世界大戦では、日本は帝国主義的拡張政策のすえにアメリカと交戦状態になったのだから、モスクワのように東京を焦土作戦で放棄して、戦い抜くという選択肢は最初からなかった。

『戦争と平和』を読みながら、ロシア人と日本人の民族意識をついつい比較してしまう。

日本人にはまだ、潜熱(シャルール・ラタント)のようなものがあるのか? ピエールが『彼ら(P.73)』と呼んだ人々がいるのだろうか? そんな事つらつら考えてしまったが、益(やく)もないことかもしれない。

(おわり)

読書会の模様です。


お志有難うございます。