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あたらしいまいにちノート

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まいにちのあんなこと、こんなこと。
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#日常

日々の奇跡を愛おしむ

膝に猫を抱え、首元に猫が絡みつき、今日の日記を書いている。我が家は猫が多い。冷蔵庫の上から飯をくれともう一匹別の猫が鳴いている。全て捨て猫たちだ。お店で愛くるしさの爆弾のような良い血統の猫も良いが先祖を引き継いでチグハグな愛嬌の野良猫の方が僕は好きだ。 今、猫が僕に絡み付いているのは銭湯帰りでホカホカしていることに加え、匂いを擦り付けたい欲求がぶつかっている。そういえば、涼しい夜道で見上げた月が綺麗だった。震えるほどの寒さも消えて、まもなく春が来る。明日はもう三月。 子供

「時間配分とタスク管理」の苦悩と人生ゲームの大きな気付き

これまでに時間運用やタスク管理の話は死ぬほど考えて、いろいろ記事にも書いてきた。日々改善しながらブラッシュアップしていたがここ数ヶ月の仕事ラッシュでいろいろと新しい事実に気づいた。それは… 「(おそらく)永遠に時間配分は見誤る」 という事実だ。もともと完璧な管理や配分なんてできないとは思っている。しかし、改善はできるはずだと四苦八苦しながら戦ってきた。結果なにがおきたかというと「ここに至る3年の間で仕事のスケールが拡大」していった。 実際、この3年間様々な改善をしていっ

「俺たち何者になるんだろうね」から15年

朝起きると大学時代の親友から、10数年前のメールの写メが「懐かしい」と一言添えてメッセージが届いてた。もう書いたことすら忘れていた僕が新卒時代に彼に送ったメールだった。イギリス留学をしていた彼は1年遅れで就活していた時期だ。落ち込んでいたからなのかすら思い出せないが少しだけ先に社会に出た僕からのメールというか手紙だった。 お調子者でムードメーカー、それでいて繊細で落ち込むとドブのように深くおちるやつ。思い出すだけで色々楽しかった日々が浮かび上がってくる。時折会うけど、二人と

5年が15分で気付いた日常に非日常の傷を残す大切さ

あっという間に終わってしまう。 今日も今週も今月も今年も、5年も10年も。 仕事に疲れてリビングで昔の写真を眺めていて思った。 このシャッターを切った瞬間って 心が動いたときなんだなって。 懐かしいなと眺めていた。たった15分ほどか、つい昨日の写真に到達した。5年の日々が15分。 え…となった。写真から芋づる式で今日に再浮上した思い出はあるが、それ以外の膨大な日常は記憶のカケラにも残っていないことに驚く。 確かに合った日々の多くは過ぎて消えていっている。 先週の今日、この

止まってしまった人

いつだって時間が足りない。 テスト前だって、誰かと過ごす楽しい時間だって、仕事で何かを作るときだって、おそらくこの人生だって、時間が足りないと思うのだろう。 ときおり、ふわっと生まれる溢れるような豊かな時間ってものは、神様が忙しい社会人に向けて、時折与えるサプライズみたいなものなのかもしれない。もう大抵の時間は常に残された時間との戦いだ。 生きてる限り何かしら少しでも成長はしていると信じている。 去年の自分より、今日の自分は確実に違う。 やりたいと思うことも、やれると思

軽やかに生きよう

奈良へすべて別件で3日連続通った。 鹿がいるだけでもうすべて許される感じ。 デザインの打ち合わせ、酒蔵、木材、山守たちとの会話。巨大な研究所の内覧。全部バラバラ。 朝一であるミュージシャンのMVのアイデア会議をし移動やらなんやらで飯食えず時計は17時をお知らせしている。過密すぎた…俺のミス。1時間後のmtgはオンライン。定刻通りにアクセスすれば会議に着席だ。 明日は久しぶりの東京。日帰りだけど。 一番仕事できるのは移動中になってきている。 引きこもりなのに…疲れる前に打ち

めちゃくちゃ簡単なダイエット方法(特定のタイプによる)を見つけてしまった

太った。元々、太りにくい体質だが加齢とともに太りやすくはなってきているのだろう。誰だってそうだ。食事制限でダイエットでもするか…と考えた時にこれは思考停止だ!となぜかストップをかけた。 自分の生活を考えた時に太るポイントは何かを考えると1点だけ、昔と違う習慣が増えた事に気付いたのだ。それは… 寝る前に、Youtubeを見る という、めちゃくちゃ現代的な習慣だった。 風呂上がりのリビングでぼぉーっとYoutubeを見てしまう。 しかも、自分がみているのが魚さばいて食べたり

タイムラインを眺める時間は、自分の人生を目の当たりにする時間を減らした時間

noteが好きなところは、新しい記事を書くときに画面全体がまっさらな状態になるところだ。週末、来週のタスクを整理して、ぼおっとブラウザのSNSを眺めて、なんて無駄な時間なんだろうなと思いながらスクロールしている。誰かの日常で週末寝る前の退屈な時間を潰せるわけでもない。Netflixに溺れている方がまだ教訓をいただけそうだ。 ポチッと1クリックで新規投稿画面へ遷移する。 真っ白な画面は、「さぁ、今日何を思った?」という投げかけになっている。365日まいにち日記を書いた刷り込み

小さきもの

テキーラを飲みすぎた。 どう家に帰ったのかは覚えてない。くしゃくしゃのレシートがあるのでタクシーに飛び乗ったのだろう。脳の記憶を司る機能が完全停止し楽しかった気配だけが残る。不思議と二日酔いはなく抜けきっていない酒を午前中いっぱいで抜いていく。 横でフワフワが寝ている。 本棚の上では黒いのが寝てる。 妻の足元で小さいのも寝ている。 小さきものの熟睡を眺めるのは幸せだ。 子供達の寝顔を眺めるのと同じなのだろう。こちらの心も凪いでいく。 ベランダでタバコを吸いながら、夏が来る

一番かっこいいを手にしたい

ちょっとサボってくるわ。 と社員に声をかけて木屋町のタナカコーヒー へ。 うちはサボり推奨である。体も心も管理するのは自分だってことを学ばないといけない。 なので僕は今正々堂々とサボっている。 ちゃんと自分のこと観察してサボらないといけない。 シエスタ(おしゃれな昼寝のあだ名)だと家で寝たら2時間寝ていたことがある。これはサボりでもなくバカだ。起きた時のやっちまった感がすごい。 逆にサボるなと言われるとサボりたくなる。 でも仕事中には、どう考えても意味のない時間も生まれる

家族の時間はとても短い

家族の時間はとても短い。 生まれて18歳くらいには家を出てしまう。 子供が生まれた時から、ずっと今でも思っている。 僕を父にしてくれたのは子供たちだし、 子供を産んでくれた妻のおかげだ。妻とは歳を重ね老いを楽しみ、その時々の美しさに惚れ続けるのだろうと思う。結婚生活10年を越え、愛情が変わらないということは常に今の妻を好きなのだろう。 今日は妻はお出かけに出ている。 僕も久々に家で仕事ができて、この数ヶ月の慌ただしさで不足した家族愛を満たしているところだ。スーパーに食材を

「わからない」を認識することは大事な一歩

「わからない」と言う事実を把握することが大切だ。 どう思う?どうしたらいいかな?何をしたらいいだろう…という相談が基本的にうちには多い。まず僕らが行うことは「わからない」ことを把握していくことが最初の一歩となる。 なんとなく世の空気として「わからない」ことは「よくない」と思われている節がある。なのでわかったふりをするなんて言うケースもあるがそれが一番危ないと思っている。わからないことは決してダメなことでも、恥ずかしいことでもない。わからないことに目を背けることの方がはちゃめ

眼鏡あわない問題

眼鏡が合わない。似合う似合わないとかそういう話じゃない。 顔がでかい。顔がでかいと大抵の眼鏡はおもちゃ見たく見える。サングラスも同様だ。遺伝か何か、僕は顔がでかい。子供達も。ごめんな。 そして、僕は目が弱い。目が悪いのもあるけど、仕事のせいか夏に近づくにつれ目が痛む。真夏なんて外出ただけで日差しに目が焼かれる感じだ。なのでサングラスが必要になるが、これが似合わない。困ったものだ。サングラス・コンタクトレンズというものがないのか。 これはもうJINSさんとかに顔が大きい人向

僕らの炎も混ぜてくれ

高速道路を駆け抜ける車。助席でどこまでも続く山々を眺める。 仲間とともに京都を北上する。この道は何度目だろうか。 ドライバーと視線が合うことはない。黙々と会話をし続け、目線は前に。 未来の話をあっちへいったり、こっちへいったり。 移動時間と家にいるときだけが休んでいる。 休んでいても未来の話でワクワクしている。暮らしも仕事も垣根がない。 あるとすれば仕事は一つの実験でしかない。この暮らしと仕事の間くらいの言葉しかない時間を僕は愛おしく思っている。 車の灰皿は僕の銘柄でいっ