見出し画像

ノイズキャンセリングな空間

アトリエの向かいを走る無数の車の音が聞こえる。
イケアで買った大きめなBluetoothスピーカーがほんのり音楽を垂れ流し、久々のアトリエでアイデアを考える。
ノイズキャンセリングなヘッドホンやおやすみモードが実装された今の時代に日中の静寂を確保する術は限られているように思う。無理やりすべての電子機器を黙らせて、自力で静寂を確保する必要がある。

作業や思考を遮るものは無数にある。深く早く潜ることが必要な自分にとって、そのさえぎりはクオリティに直結する。電話も通知も話しかけることも皆仕事のためだ。悪いことではない。話しかけるな、連絡をするなということでもない。まだ私たち人間は自分たちで作り出してまったノイズをキャンセリングする道具を持っていないだけなのだと思う。

何もなかったはずのアトリエは思考のサンプリングのための無数の本や、他人から見るとおもちゃやゴミのようなオブジェで溢れてきている。そのどれもが自分だけにとってのソースになる。たった1ヶ月でこんなに増えてしまうのなら棚が必要だということで先ほど特に考えもせずに購入した。

松倉が働くところは松倉のようになるといわれた。
え?と思い見渡すと旅先の宿だろうが、オフィスだろうが、自宅だろうが、たしかに雑多でノイジーなオブジェクトで満たされている。自分にとってはすべて都合の良い場所に存在しているが、側から見るととっちらかった現場だ。まるで自分の頭の中みたいだと思う。真面目な人は整理整頓を行き届かせるのだろう。僕の場合は、拾った石や何気なくめくったページのセンテンスが、他の何かと接続して答えめいたものを想起させる。仕事の都合上、15年くらい同じことをしているので、おそらくこれが最適解なのだろうと思う。特に何かを変えようとは思わないが定期的にお部屋の整理はするようになった。

仕事の合間に息抜きがてら知人たちが多く関わる商業施設へと視察に向かった。その道中、湖畔沿いを走り、山々を眺めているとまるで自分の机みたいだと思った。山を山として認識していればシンプルな山だろうが、そこには無数の植生や川や生き物が複雑に綿密に絡まり合って存在している。僕の机や周辺もまた同じようなものですべて何かしらの連環を生み出している。それはやはり他者から理解できない独自のランドスケープなのだと思う。

一連のタスクを終え、深く潜り込む仕事をしにアトリエにきた。
20時に今日最後の会議がある。そこまでぐっと思考を深める。頭が止まらず回り続けるのなら、またアトリエに戻り籠る。今は暮らしの時間とか全てを無視して体と心の時間で生きている。たくさん寝る時もあれば全然眠らないこともある。心が考えたがっていればそれに委ねている。倒れないか心配だと言われているが飯も食うし寝てもいる。むしろ、何か囚われたルールで縛られる方が心身ともに疲弊してしまいそうだ。

さて、2月。採用活動の準備や様々なプロジェクトへのコミットがある。
多忙を極めるとき、深く深呼吸をする。忙しい時こそ、深く深く息を吸い、ゆっくりと吐き出していくことで本来の地点に心が戻る。恐れず丁寧に、そして大胆に、正直に進めていこう。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。