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子育てが終わりつつある、38歳の人生設計

雑多なデスクを掃除したつもりがあれやこれやと文献を紐解いては重ねていくものでものの数時間で元の状態より酷いあり様が広がっている。記憶のストレージはとうに限界を超えていて、外部記憶のように様々な書籍につけたタグの記憶だけで情報を引っ張り出している。

仕事の緩急どころか、「緩」を失い「急」の先に到達するような日々を過ごしている。これが苦しいかというと全然違った風景が38歳にして広がっている。まるで新卒の頃のような初々しさで物事に向き合えている。働きすぎて強制リセットされたのか疑うほどだ。

静岡から金沢への旅を経て、徳島・東京・広島・長野など無数の地にその足で赴いている。まだ国内移動に止まるが国外が解禁されれば外へと足を伸ばすのだろう。38歳のこの年にこの先の生き方が定まりつつある。この10年近く独立やら経営やら新しい会社をいくつも作ったり、今までとは違う領域に苦慮しつつも楽しんで学んできた。難しい専門用語は持ち合わせてないがお金がどういう生き物かも体感しながら学ぶことができたように思う。

この年で足を止めると子供たちは12歳、10歳ともう相当育っており、父として並走するような年齢でもなくなっている。あと8年もしないうちに大学ないし、専門学校へと進み家を出る可能性がある。だったら残りわずかの時間、先輩として楽しげに人生を踊る様を示す方がより多くの学びを提供できるだろうと思ったのもでかい。父としての松倉がまもなく終わるのだなと自覚しながら、果たしてどのように生きるかを富山の星空を眺めて考えた。

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人里離れた山村では老人たちは当たり前すぎて見上げもしないほどの星空で「これから何のために働くか」なんてことを考えたりしていた。

前述したとおり、子供たちはもう勝手に育っているし、勝手に育っていくのだなという気付きも大きい。家族のために働いていた10数年が突然、次の試合だよとゲームチェンジの合図が来た感じだ。あれ、俺って何のために仕事してたっけ?という無数のクエスチョンマークが脳みそを満たしいていた。

うーん、と運転しながら考えていながら静岡の太平洋や山梨・長野・富山の圧倒的な自然にココロを奪われ、あるがままの姿と強さに多くを学んだ気がする。

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与えられた環境で生き延びるために伸び伸びと野生を広げている。その時、心がとても正直に動いたことを記憶している。このような存在になりたいと思ったのだ。生意気にも38年ほど自生した生き物が数百年の先輩をみて思ったのだ。

「そうだ、自分のために生きてみよう」

そう思った瞬間、先ほどの夜空に大きな流れ星が途切れることなく東の空か西の空へと駆け抜けていった。漫画みたいだと思う前に隕石でも落ちたんじゃないかと心配になる程の大きさだった。

人間ポジティブなものでそれを世界の巨大なYESのように捉えて今も生きている。とても動物的に、とても自然に、とても正直に。肯定も否定も誰にされても構わないと思っている。この決断は誰のものでもなく、僕のものだから。褒められても貶されても右から左へ流れていく。

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石川に車で走れる砂浜がある。そこで車を止めて小雨が降る荒れた日本海を眺める。この風景は一生忘れないかもしれないなと思った。今でも鮮明に覚えている。ではこの先、どのような存在なのだろうか。言葉を与えるならなんなのだろうと考えていた。運転しながら、頭なのかで考えがめぐる。

「野生的な知性」

なんていう言葉がよぎった。僕の知性は恐ろしく偏ってはいるが誰も知らないこととか入ってたりする。そして、僕はとても野生的な判断で生き延びてきた人間だったりする。これらを今までは別々に使い分けていたが、この二つの相反する要素が混ざり合った存在になっていこう。それを言葉にすると野生的な知性だった。

一升瓶を抱え、外部ストレージ的な無数の本に囲まれ、周辺には記号めいたメモとアイデアが散らばるおじさんになる。その境界線の上に住んでるような経験と知識でこれまで解決できなかった無数の問題に向き合う。どこの誰でもない自分自身を成すための時間が始まる。

僕は自由に生きるだろう。それで多くの迷惑をかけるとも思う。
それでもどうしても自分自身がこの先どこまでいけるのか確かめたい。
少年が一人で冒険に出るような心持ちだ。愛されることも、憎まれることもあるだろう。それでも、僕が僕自身であることを諦めたくない。

この旅先で出会える無数の心躍る風景に会えることを楽しみにしている。
そして、子供たちには、こんな大人がいても良いんだって証明を自分の背中で示してあげたい。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。