この哀しみもしっかり飲み込んで生きていく
疲れ果てたおじさんのイビキをBGMに東京へ向かっている。イビキをリアルタイムで取得して別の楽曲に変換したら毎日人類のいびきの数だけメロディが生まれるのかもしれない。
東京へは私事と仕事の2つ。
今、浜松を通過している。友達の顔を見にいきたいがまずは東京に行かなければ。仕事も暮らしもないまぜで生きている。お客さんなのに同士や友人のようであり、暮らしの中の友人たちと大きな差はない。全ての友人たちが僕にはない謎のエキセントリックな才能があって、年齢の差も関係なく尊敬できる。これはとても幸せなことだと思った。
先日、高校の同級生の訃報が届いた。
闘病生活についてはタイムラインが教えてくれた。打ち合わせの途中にそれを知り、狼狽た。死は最も近くて分からない。哀しいより先に彼との思い出が勝手にフラッシュバックした。
「松倉さん、どう思います?」
という現実からの言葉で思い出から今に戻ってきた。
哀しいなと思った。言葉にせず出来ることもなく、生きるしかないのだなと。ただただ今を動き今を生み出し続け、進み続けること以外、僕に出来ることはない。頑張るというか、もうちょい生きるわって思った。
そして、これから東京時代にお世話になった人のお見舞いへ向かう。
難しい事はわからない。どうリアクションしていいかもわからないけど、顔を見に行く。言葉を交わしに行く。何もできないけど会いにいく。
この前、尾道で美味しい風景を見た。
ふらっと入ったお店だ。なんて良いんだろう。
老姉妹が切り盛りする広島焼の村上。名店だそう。
訃報や入院の話を聞きながら、このお店でのことを考えていた。
食って、寝て、働いて。
酒を飲み、知らない人たちと盛り上がり対話する。
美味しい?と婆ちゃん。
めちゃくちゃ美味しいよ!と返すとシワシワの笑顔。
ビールを飲み干して、ごちそうさま。
生きてる
手を合わせながら僕はそう思ったのを思い出した。
僕は生きている。
なので、このままもうちょい気張らずに生きていく。
喜びも、苦しみも、無駄も、自由も
どうしようもないことだってたくさんあるんだと思う。
美味しいね
楽しいね
苦しいな
すごいね
かなしいね
全部があって生きるってことなんだな。
この哀しみもしっかり飲み込んで生きていくよ。
いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。