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決断には体力がいる

今日、いくつかの打ち合わせが連続であり、はしご状態。
それぞれで考えたり議論したりといい密度の打ち合わせ。お陰で資料関係はあまり進まない。しょうがない。資料を書くだけに特化した自分をコピーするしかない。未来まち。

家族との夕食を終え、リビングで寝落ち。気付けば子供達はシャワーを終えてさっぱり。波打ち際に打ち上げられたようなくたびれたおじさんだけが横たわるリビング。いや、隣で妻もゴロゴロしていた。さすが夫婦。

これはやろう。これはやめよう。これは…うーん、どうしよう。
こういった決断していくことにすごい体力を使う。一つの選択が結果を変えるので何手か先まで読んだ上で決定していく。

もちろん、○や×だけじゃないところもポイントだ。どちらとも言い難い△という状態もある。△の場合の多くは仮設した前提条件に問題があるので巻き戻す。すると大概、よく考えればここがおかしいと気付く。

打ち合わせの合間にも電話は届く。会議中は基本でないので移動中に会話する。
新しい相談がいくつか舞い込む。先ほどの情報と電話からの情報で混乱しないように急いで情報を整理する。仲間ができたおかげでひとまずみんなに伝える。

昔に比べると、どんどん自分で決めることが増えてきたように感じた。
そうか、年取ったからかとおもいながらも、ある程度決定権を委ねてもらっているからこそ「判断」する機会が増えているのだと責任を感じる。

今日のこの気づきを日記に書こう。
絵は○くんと×くんだ!とタブレットでお絵かきをする。
それを見た子供が気付けば隣で絵を描いている。
この決断の連続に慣れていかなければ。選ぶということは責任が伴う。
どんどん先に行こう。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。