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2023 所感

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最近はすごく、自分にしかできないこと、少なくとも自分の個性とか得意なことでお金をもらいたいと思う。それに自分の価値観、感性、もっと広い言葉で言えば世界観で評価されたい。誰にでもできそうな、誰に喜ばれているのか分からない仕事ではなくて。できるならお金をもらう人に直接ありがとうと言ってもらいたい。それから人に何か言われるのではなくて、個人で生きていきたい。それは孤独とはむしろ逆だと思う。自分の色んな側面を違う立場の人から評価してもらって、関係性を作っていく。経済的な繋がりだけじゃなくて、面白いと言ってもらえる人、一緒にいたいと思える人になりたい。そのためには結局のところ、拍子抜けするけど勉強するしか、成長するしかないんだと思ってる。

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冷笑的な態度、ハッシュタグ的な大衆迎合への批判

4/15
やりたいことをやり続けるというスタンス自体間違ったものではないと思うけれど、それ以外の時間を無駄だと捉える思考法はやっぱりどこか大事なものを見失っている気がした。お昼ご飯の時間もったいないって思ってしまったのが自分でもかなりショック。生の豊穣さは、「無駄な時間」にこそ潜んでいると思う。ある程度不自由なく暮らせる社会で、外部から与えられた「楽しみ紛い」のものに忙殺されることには向き合わないといけない反面、なにか生産性とはかけ離れたものを味わえる深みがなければいけない。それこそが本当の文化、カルティベートの意味合いであって、そこを視野から疎外したくない。

6/24
語学をやりたいのは、もっと広く情報が欲しいから。世界で起きてること、こぼれ落ちてるものに自覚的にならなきゃいけない。その上で文化的な領域に興味があるのは社会を動かす力があると信じているから。人の認識を変えると思っているから。なにかお話を描いて作るということをしなくてはいけない。面白いことをしたい。
色んな人を巻き込んで、巻き込まれて、ひとつの仕事をするんじゃなくてもっと蛸壺型に活動を広げてお金をもらうスタイルがかっこいい。なにか形に残したい。環境変えなくてはいけない。

8/9
なんだかずっと薄い生活をしていて、本当に将来何も起こらないじゃないかと思っている。それでいいのかな。ほんとうに。1回だけの人生で、人と同じように振舞って、それなりにお金には困らなくて。守られたような生き方してていいのかな。人並みの幸せがくだらないとは言わないけれど、やっぱり自分がひとりで生まれてひとりで死ぬこの間の時間だけは、思い切りやりたいことだけをやりたいと思う。時間はきっと、あまりにも足りない。でも何をしたらいいのか分からないからYouTubeとインスタに流されてしまう自分がいるのも事実だし。たぶん人は何かしている間はそんな大層な事柄に考えを割くことはないし、そうしてるうちに死んだ方が幸せなんだろう。見える景色に入り込むかどうか。リッキーも言ってた気がする。目の前の世界にどれだけ入り込んで、物語を生きることができるか。そうして過ごした時間の積み重ねこそが、人の生の単数性や短さ、脆さを輝かせてくれるのだろうと思う。
いま自分がこの状況を打開するための手段は、目の前の人を大切にすること。これ以上できないというくらいまで目の前のものと向き合うこと。何を思ったか、感じたのか、自分の中に留めること。あるいは記すこと。
自分がいまからしようとしている行為は自分にとって
正当化できるのか。都合がいいだけなのではないか。
自分だけの美しさ、善さ、正しさを追い求めること。
なにが自分にとって正しくて美しくて気持ちよいのか。

8/19
一人の時間さみしい!

金欠学生です 生活費に当てさせて頂きます お慈悲を🙏