すばる

フランス文学をお勉強しています

すばる

フランス文学をお勉強しています

最近の記事

2023 所感

1/28 最近はすごく、自分にしかできないこと、少なくとも自分の個性とか得意なことでお金をもらいたいと思う。それに自分の価値観、感性、もっと広い言葉で言えば世界観で評価されたい。誰にでもできそうな、誰に喜ばれているのか分からない仕事ではなくて。できるならお金をもらう人に直接ありがとうと言ってもらいたい。それから人に何か言われるのではなくて、個人で生きていきたい。それは孤独とはむしろ逆だと思う。自分の色んな側面を違う立場の人から評価してもらって、関係性を作っていく。経済的な繋が

    • 光って消える。ただそれだけ。

      💫 💫💫 さっきからぼくは、体育座りをしながらあなたと星を見ている。特に何を話しているわけでもない。誰もいない真っ暗な草原。たまに冷たい風は吹いていたけれど、それがむしろ心地よかった。少し見上げたあたりで一番光っている星を見ている。しばらく同じところを見つめていると、それはパチパチ光って消える。瞬きをすると、今度はまた光り出す。なんでこんなことをしているのか、どれくらい時間が経ったのか覚えていない。とにかく夜空はただただ綺麗で、ぼくらを囲んだ周りの茂みに縁取られ、まるで覗き

      • 【評論】映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』

        この文章は、ぼくが大学1年生の秋に履修した「政治学原論」のレポートを、一部加筆修正したものです。『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、ぼくがいま考えたいと思っている問題、誰もがどこかでぼんやりと抱えているかもしれない社会に対する疑念、そういうものを浮き上がらせる作品です。講義のレポートという性質上、映画を鑑賞している前提で書かれた内容であることは了承してください。作品を観てから読んで頂いても結構ですし、先に本文を読んでから鑑賞する気になってもらえたならなお幸いです。 以下本文

        • ♭な♯の奴隷のために

          ずっと、何もしていない。 何かを生み出すんだという意識だけが先行していて、何も持ち合わせていない自分が足枷になっている。それが強ければ強いほど、投げかけた羨望の光は明るくなる。向こう側に横たわる影も、長くなる。 いざ何かをしようとすると、目の前に立ち上がる圧倒的な「何か」に萎縮する。気づけばリールを眺めている。ブルーライトを眼球に浴びながら、指紋が擦り切れるほど親指を画面に滑らせて、気が付けば煌々と灯りのついた部屋で気絶するように眠っている。 明かりのついたまま冷房が効

        2023 所感

          2022年夏 所感|試論:死の回避

          もしいま自分が死んだとして、葬式で使われる遺影はどの写真になるのだろうか。そもそも葬式は行われるのだろうか。 あの真夏の重厚な入道雲を突き抜けた先の、おそらく真っ青であろう無音の空間で引き金を引かれた銃は、太陽に向かって、どんな音を出すのだろうか。 自分に子供ができたとして、そしてその子にひらがなのルールを教えたとして、彼/彼女が「ば」を「ba」と発音することに難色を示した時、それがどんなに嬉しいことだろうか。 🚙 僕は死ぬことが途轍もなく怖い。急に何を幼稚なことを、

          2022年夏 所感|試論:死の回避

          自分という存在、あるいは意味の意味について

          いつからだろうか、思春期に差し掛かり、「自分は何者であるのか」というごく一般的な悩みを抱え込んでからというもの、自己同一性について、ずっと考えているような気がする。 付属校かつ男子校、あげく途中から帰宅部というさらに奇天烈な環境に身を投じ、気づいたときにはすでに、普通の高校生であればエネルギーの捌け口になるはずの「受験勉強、恋愛、部活」という三本柱が、僕には見事に欠落していた。 そのせいで僕は、有り余ったエネルギーを内面の問題、特に「自己」というものに向き合うことで、消費

          自分という存在、あるいは意味の意味について

          古文漢文オワコン論

          久しぶりに文章を書くので、当たり障りのない、抽象度を下げた内容を扱おうと思う。 正直、受験という世界に傍観者として対峙する個人としては関心の低い内容ではあるけれども、先日のAbemaで議論されているのを見て、その問題提起の仕方に少し違和感を感じた。 先に僕の立場を示してから話題に入りたいとは思うのだけれど、そのためにはこの論題の少し込み入った構造を明かさないといけないので、結論は最後にまわそうと思う。 まずAbemaでどういったことが議論されていたのか軽く示すところから

          古文漢文オワコン論

          2021年夏、僕は五感を信じない。でも研ぎ澄ませなくてはいけない。

          今年に入って視力が落ちて、コンタクトを使うようになったり、もっと大きな出来事で言えば祖父が亡くなったりして、「人間の身体性」みたいなことを考えるようになった。 コンタクトレンズのおかげで僕の視界がクリアになるという経験は、ある種恐怖だった。 これから技術が進歩して、僕の目を完全に人工のものにする時が来るかもしれない。あるいは臓器を移植したりIPS細胞を使って、内臓を交換する時が来るかもしれない。 もしそうなったら、僕は僕ではなくなるのだろうか。。。 古来からされてきた

          2021年夏、僕は五感を信じない。でも研ぎ澄ませなくてはいけない。

          お金を舐めたような使い方が好きになった話

          夏休みに入ってまとまった時間ができたから、前から興味のあった「中世から近代への転換期」について考えたり、必要があれば調べたり、そんなことをしている。 その中で自分の世界観(と呼べるようなものではないかもしれないけれど)が少し、いや、かなり変わった気がしている。 その結果、タイトルにもある通り、お金をバカにした態度が好きになった。 自分の中に留めておくにはもったいない気がして、考えを整理しながらシェアできたらいいなあなんて思ったので書いてみる。 過程を説明するにはザッと

          お金を舐めたような使い方が好きになった話