女という被害を乗り越えるカウンセリング-番外編

この記事がとても良い記事で、最後まで頷きながら読んだ。
そして、読みながら、この女性の両親の対応を知って、息が止まった。親だったら、娘が性被害を受けた時、泣き崩れたり、力強く励ましたりするのを初めて知ったからだ。
私が兄からの性被害を受けて、それを両親が見つけた時、二人は私に対して、こういうような心からの愛情溢れる言葉がけをしてくれなかった。ただ、兄をボコっておしまいにした。
改めてだけど、本当に自分の両親は、私がどれだけ怖い思いをしていたか理解できず、だからこそ、そのまま家族として一緒に暮らすという方法を取ったのだろう。
私は兄に対して裁判は起こしていない。起こしたいと思うことがあるが、時間が経過していると立証できないなど、不利なことが多すぎて裁判をしない人が多い。
本当は私も、裁判を起こして兄を有罪にし、自分が犯した罪の重さ、妹の人生を滅茶苦茶にしたことを理解して反省してほしい。
しかし、兄にその気配はなく、母も兄側の人間で、父は兄のことに関しては「あいつはおかしい」くらいしか言わず、なんかもう、全てを投げ出したいくらいうんざりする。
10代、20代の頃は比喩でなく息をするのも苦しい時代だった。40歳になっても「死にたい」と考えない日はないし、家族と絶縁していても、仕事があり、屋根のある家に住み、優しいパートナーがおり、貯金もできて、随分生活は良くなったが、心の中はいつも最低である。
兄は自分の性加害を認めているが「家も買ったし、子供もいるので、お金はそんなに出せない」と普通に言える神経が理解できない。そんな兄が父親として子供を育てているのにも吐き気がするし、そんな兄の孫の面倒を見る母親のことも理解できない。
なんか同じこと、ずっと言っている気がする。

このようなつらさの中でも、被害後、私の回復の力になった印象的なことは、父が何気なくかけてくれた言葉です。被害直後、アフターピルをもらいにいった病院の待合室で、「これからどうしていくべきか」となったとき、父が、私の考えや知識を頼ってくれたのです。「大学でそういう勉強してきたんだろう。きっと、こういうときどうすればいいか、俺たちよりもお前の方がずっと分かっているんだろうから、どうするのかお前の考えを尊重するよ。俺たちにできるのは、お前がこうしたいって言った時に協力することだけだから」と。父本人は何気なく言ったのだろうし、覚えているかも分かりませんが、その言葉が「被害者」となった私を、「人間として扱われなかった私」を、「非力で無力な存在にせず、救ってくれた」と、「自分は力を持っていることに気づかせてくれた」と、今となって思います。

“性暴力”裁判 被害女性が語った15分のことば NHK


私がなんとか家に帰った後、私がこの事件の被害に遭ったと知った時、母が今まで聞いたこともないような声を出して泣き崩れた姿も、忘れることができません。それでもただ、命は奪われずに帰ってきて、生きていて、あのときちゃんと母のそばにいることはできてよかったと思っています。あんな泣き方をする母のそばにいれない結果になっていたら・・・。被害に遭っていた時、「殺されるかもしれない」「朝、私はまた日の光をこの目で見ることができるだろうか」と考え、亡くなった祖父に対して心で助けを求め、そうするしかできなかったあの時の感情を思いだすと、言葉に尽くしがたい感情が込み上げます。

“性暴力”裁判 被害女性が語った15分のことば NHK


 

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