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西洋と東洋/占星術と暦

今回は、タイトル通り西洋と東洋の文明について考えます。
今回も、ふらふらーッと長文を書きます。
お付き合い願えましたら、幸いです~(´∀`~)〰️

まず、西洋文明の特徴から。
✔️理論的
✔️議論的
太陽暦の暦を使った生活を送ってきました。
太陽暦は、生活を、太陽基準に置くと言う意味です。エジプトが起源です。
一方、東洋の文明は日本インド中国等々、メソポタミアで作られた太陰暦が基準で、月を基準にした暦です。その特徴は、
✔️自然
✔️調和的
人間の生命のサイクルは月にあるので、月を詠み生活を送ることは宇宙的な視点ではかなり理に叶っています。

個人的に、何故黄道12星座を昔の人々は考え出したのか、と疑問でした。
いくら視界が良く視力が良いからと言って、毎日変わっていく星星の位置を覚えておくのはかなり難しいし、現実にギリシャの法体系的な世界観から、世界を支配する自然の法則が存在するのではないかと言う視点に立つまで、数学的なアプローチで世界の真髄に迫る考えは生まれませんでした。

勿論、技術的な側面はギリシャ以外でも、例えば、中国や日本などでも、技能的な側面だけなら徐々に発展しつつはありましたが、、。

定期的に起こる洪水の時期をシリウスによって測っていたのはエジプトでしたが、メソポタミア文明は不定期に氾濫する大河ですし、天文学的な測量は恐らくそこまで関係ありません。畑の大きさを測量するための数学は発展していたとは思いますが。

じゃあ、古代人はどうやって星の位置を知ったのか?定義したのかと言う話になります。
いいえ、もっと言えば、
星の位置を定義できると考えたきっかけがあったはずです。
それが恐らく、月にあると思うのです。月は一年かけて大体12回、新月を迎えます。
大体の季節は温度や気候で分かります。あとは、月を見て一ヶ月を定義する。
これが暦の始まりで、一年を12等分する考え方の始まりだったのではないかと思うのです。
逆にこの程度の簡易さなら、恐らくどの文明や文化圏に於いても星空、いや、月がもっとも読みやすい時計であったことは明白です。

日本のイザナギから生まれた三神が
✔️アマテラス(天照)=太陽
✔️ツクヨミ(月読)=月を読む人
✔️スサノヲ=荒れ狂う海原
であることも納得できます。ツクヨミ様は月じゃなくて、月を読む神様なんですよね。その意味では恐らく、所謂月の神様は日本には居ません。
ただし、ツクヨミは父であるイザナギ(物質としての太陽ではなく、太陽的な生命力の神)と共にあり、高天ヶ原を支配する天照や黄泉の国まで行ったスサノヲと違ってあまり物語に登場しませんし、日本書紀よりも前に書かれた古事記には登場しません。
何故ツクヨミを付け足したのか、かなり気になりますね。日本も民族的に、一枚岩ではなくてツクヨミはヤマト王朝以外の神様で、無理に付け足したのか、、それとも元々の天皇家の歴史本には書かれていて、少し前にそれが蘇我氏とかの戦乱で焼失しているんですが、古事記がその記述を忘れていただけか…そもそも古事記は全くの創作話の可能性も??ウァァォ気になるし妄想が止まらない!🤣


まあ、それはともかく。

暦としての生活のリズムは月で良いのですが、太陽を定義する太陽暦を作り上げるには、ここからもう少し星空の知識が必要になるでしょう。

さて、太陽暦は松村潔先生によると、かなり体に無理をさせる暦のようです。体のサイクルに合わせた暦ではないです。しかも、地球から見た太陽は傲慢さの象徴…偽りの太陽、太陽に扮した地球にもなり得るし、月を無視することは月に呑み込まれることを意味しています。
月は無視するのではなく、意識して仮死状態にしなければ、人間は簡単に月に堕ちてしまいます。

一方、太陰暦は体のサイクルに合わせたものになるので宇宙的なサイクルで生活をすることが出来ます。しかし、月のサイクルを受け入れると言うのは、等身大の自分でいることを受け入れると言うことであり、これは西洋的な人類史の、個人の独立と努力の権利闘争へ発展してきた道のりの方向とは真逆。
太陽暦を受け入れた日本でも、精神的にも社会的にもこれを受け入れると言うこと自体が苦痛であると言う人は少なくありません。
人間は自分に対して、こうであってほしいと言うようなイメージ…幻想のなかで生きていたい生き物だからです。でも、その幻想は自分ではない誰かの意識であり、本当の叡知は自分自身を受け入れてこそ与えられるものです。
しかし残念ながら、太陰暦でいきると宇宙軸が強くなって社会に鈍感になる傾向も現れてくるのは否めません。西洋から見ると東洋が政治に無関心に見えるのは、恐らくそういった側面もあるのかもしれません。良くも悪くも、東洋文明は自分個人の幸福に忠実だと言うことです。
古代の東アジアで西洋のような戦争がなかったのも、昔の東アジアの時の流れが月の時間によるものだったからなのかもしれませんね。
ただ、月は願望を持たなければそれ以上前に進むことは困難になります。
中国やインドのように、月の時の流れを示す文明に父性×父性(土星=制限×制限)を重ねてしまうとせっかくの月のサイクルも太陽の意思を受けとれず、眠ったまま動く機械のように人間的ダイナミズムを失ってしまいます。これが太陰暦的な社会の難点です。社会は少なからず土星的なものですが、太陰暦的生活に土星を持ち込む危険性は計り知れないものがあります。

この点、西洋文明は太陽の時の流れに対して母性×母性(月=大衆×大衆)を重ねました。結果、元々半分月に堕ちているものが更に大衆主義によって重ねられ、民主主義だとか、独立だとかいう概念が誕生しました。これを定義したこと自体は良いのですが、そもそもこんな概念が生まれること自体にそうしないと命を踏みにじられるしかなかった哀しみと深い闇が存在しています。その時代の欧州の大衆の置かれた状況がいかに酷かったかに比例していると言うことです。
西洋文明は散々な戦争もたくさん経験していますし。戦争が多いと、分かり合えない他者と分かり合うために論理的思考が発達するので、非常に議論的で論理的な文明になっていきました。
現在の西洋文明の成長段階は、月がダメで、太陽の傲慢さを得たあと土星の壁にぶつかって、天王星に足を突っ込もうとしています。。

では日本はどうだったかというと、月の時間の流れに父性×母性をうまく組み合わせた構造でした。
天皇制の中空構造(天皇がトップで、母性的=大衆を思う存在→毎年豊作を願ったり、祈祷をします。その下が権威的な存在であり、これは父性=支配的です。)がうまく働いた結果です。
これは最高神アマテラスが女性であることからも分かりやすいかもしれません。

だから西洋がやってきたときもうまく柔軟に対応することが出来た…しかし、西洋がやってきたあとは、ご存じの通り、父性(制限)が突っ走って等身大の日本の姿を見失い、敗戦に至りました。父性が突っ走ったまではある程度は仕方がありません。自分を守るために土星の力が必要に見えることもあります。しかし、一度使った土星の力はどこかの時点で教訓を得なければ、それ以降の発展が難しくなってしまいます。土星は他者に制限を与える星ではなく、自分自身がそこから教訓を学ぶための星だからです。

現代の日本はだんだん西洋的になって、命令系統もトップダウン型…つまり、トップが自分で色々やる構造になってきています。所謂リーダーシップもこれにに当てはまりますね。天皇制のような中空構造は理想ですが、調和がないと難しいし、真の調和は構成員が自分を良く受け入れてこそ成り立ちます。太陽暦を基準とする文明に於いては、現在の自分を否定して前に進むことが前提になりガチなので、これは基本的に成り立ちません。難しいですね。
とある精神科医が、現在の日本は母性が過剰で父性が不足していると語っておられました。
母性に依存的な社会になりつつあると言うことです。この事からも、現在の日本は西洋文明の悪いところを反映しているように見えます。

じゃあ、太陽暦的になりつつある日本で生きていくには何を重視すれば良いのかというと、
まず月を意識して仮死させることです。
これは「自分をアリのままに受け入れる」ことをまず目指せと言うことです。自然なサイクルで生活することを第一目標に置きます。ここで重要なのは、自分を特定の性格の型に当てはめる必要がどこにもないことを十分に認識することです。
特定の性格や特徴としての自分は貴方が視ている月の幻想にすぎず、過去は存在しません。だからこそ、過去にうちひしがれることはあってもそれで自分を曲げては行けないという結論を出すことが出来ます。
「これからを見る」ことは自分を性格型に当てはめてモノを考えることではなく、今自分が何を欲しているのかを見つめ直すことににあります。その一瞬一瞬が積み重なれば、月日を越えて貴方の本当の望みが月のサイクルによって等身大の貴方のまま、自然にもたらされます。
これは太陰暦を受け入れると言う意味です。
月の扱い方は他の占星術ブログも様々に解釈しているので、それを参考にすると良いでしょう。

しかし、このままでは政治に対して無関心になってしまいます。太陰暦的な西洋文明の社会構造を受け入れるに当たっては、ここで一工夫必要です。
そこで、水星と木星に注目してみましょう。
水星は技術を、木星は精神素養を示しています。
例えば、データを収集して分析するのは水星の仕事ですが、そのデータをどう利用して何の役に立てるのかを思い付いたりその方法を試行錯誤するのは木星的な作業になります。

西洋文明がかつてそうだったように、太陽暦生活に母性(大衆主義)を重ねることは狂気への第一歩なので、無理にテレビで放送するような「今若い子に人気でー」と言うトレンドや、誰かの主義主張に乗る必要はありません。それが好きならそれをすれば良いですが、ただ追従するだけの思考停止人間になると月へ堕ちてしまいます。

しかし、情報をシャットダウンしてしまうとこれも太陽暦で生きていく手綱を失ってしまうことになりかねません。太陽暦は時間の流れが太陰暦に比べると、異常に早いからです。その社会で生きるには、政治にしろ経済にしろ、「これはこのようであれば、こう役に立つのではないか?」と言うアンテナを張って置き、ふとした瞬間にそのテーマに繋がる会話や情報を掴むこと大切になります。情報を取捨選択します。

また、それら情報に触れる際には注意事項があります。

太陰暦的な社会に置いては子供の頃に水星に触れ、大人になると木星を身に付けます。そして、子供の頃に天才と持て囃された水星に思いを馳せたりします。
逆に太陽暦的な社会に置いては、子供が聖書を買い与えられるように、まず木星に触れます。主義主張は木星が凝り固まった姿です。そして、大人になって水星(=生きていくための技術)を学びます。木星を先に学ぶ人は、大人になっても月の時代の木星の夢を見るので人によっては個人無意識の世界と外部世界の衝突に苦々しい思いを覚えて、ニーチェのように心を壊してしまう人も現れてしまうかもしません。

「政治はこうあるべきだ!」と言う主義主張を持つことは悪いことではありませんが、等身大の自分から見てそれがどう役に立つのかと言う真実の木星的な視点を持つことで、水星的な技術が発達するのは明白です。
順番を間違えないように、一つずつ気をつけて惑星を使ってみるとよいでしょう。まあ、簡単に言えば、どんな物事も焦らないことが重要だと言うことです。水星と木星は柔軟宮の支配星であり、柔軟宮は人間の成長を受け持ちます。そして、成長には、技術にしろ主張にしろ、必ず長い時間がかかるものなのです。これは土星を教訓的に受け入れることとも似ています。



とりとめのない文章でしたが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
最後は絵でも見て癒されましょ。


上の絵は、「魔法使いの嫁」です。
このアニメはイギリスの田舎暮らしを美しく描写しています。とってもきれいなアニメです。









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