shuiro

季節と食について。

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最近の記事

ヒペリカム

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    <小満>メドウガーデン

    <小満>メドウガーデン

    <立夏>木苺の記憶

    実家の庭でたくさんの木苺がとれるようになりました。若葉生い茂る庭の中に、赤い実がキラキラとたくさんなっていると、宝探しのような気持ちになって夢中に探してしまいます。野生だからこその甘酸っぱい木苺を食べると子供の頃に戻ったような気持ちになるのが不思議です。どこかで食べたことがあるのかは覚えていないのになんでなのか…「味覚(嗅覚)と記憶」の関係性についても興味があるので、いずれ記事にできたらと考えています。 話は変わるのですが、無事、立夏の末候「竹笋生(たけのこしょうず)」に記

    <立夏>木苺の記憶

    <立夏>次々に訪れる蝶々

    私の家には、かぼすの木があります。レモンでも柚子でもすだちでもなくかぼすの木。母からもらったのですが、なぜこの木にしたのか未だに謎です。「香りのすだち、酸味のかぼす」とはいいますが、どちらかというとすだちのほうが馴染みがあり、香りも含めて好きなのに。 まだ花もいくつかしか咲かず、実もならず、長い棘があるカボスの木。まだまだ半人前(半木前?)なこの木ですが、蝶々からの人気がすごい。次から次に訪れては卵を生んでいくのです。毎日何匹きているのか、と思うくらい、ひらひらとやってきて

    <立夏>次々に訪れる蝶々

    <立夏>気づけば季節は巡ってる

    前回の投稿が「啓蟄」だったので、「春分」「清明」「穀雨」は通り過ぎてしまいました。。一年の中でも私が好きな季節で、書きたいことがたくさんあったのに…。途切れてしまった季節を惜しく思いながらも、季節は巡っていので、過去は振り返らず進みます! 気づけば「立夏(りっか)」に入って、爽やかに晴れた日も多くなりました。青々とした若葉、爽やかな風に吹かれるだけでも気分は上向く気がします。二十四節気「立夏」は、下記3つで構成されています。言葉を見ただけで、なんだか土の匂いがしてきそうな「

    <立夏>気づけば季節は巡ってる

    <啓蟄>春を告げる魚たち

    日本語の中には、季節を表す美しい言葉が数多くあります。「春・夏・秋・冬」という巡る季節を持つ日本ならではのものといえます。 「春告魚(はるつげうお)」も日本で暮らしていることに喜びを感じるそんな言葉の一つだと思います。漁師の方が、ある魚が穫れるようになると、「あ、春がきたな…!」と感じさせてくれる魚たちのことを親しみを込めて「春告魚(はるつげうお)」と呼ばれるそうです。地域や時代によっても春告魚は異なり、花や鳥だけではなく、魚でも春を感じることができるんですね! 調べてみ

    <啓蟄>春を告げる魚たち

    <啓蟄>花が笑う季節へ

    寒い寒い・・と思っていたら、あっという間に桜の開花発表があり、春が目の前にやってきています。街を歩いていても、緑の芽がにょきにょきとでてきて、色とりどりの花たちが咲き始め、嬉しい気持ちになります。 緊急事態宣言がでている今、何気ない普段の行動に「STOP」がかかっていて、アクセルを踏みたくてもなかなか踏めない。春が来たと喜び、外へ出かけようということもできない中で、植物が芽吹く姿を見て、「ちょっと待って・・まだ準備ができない」という気持ちになってしまいます。 季節は「啓蟄

    <啓蟄>花が笑う季節へ

    <立春>季節がまた一つ進む

    旧暦でいうと季節がまた一つ進み、「魚氷に上がる(うおこおりにあがる)」という季節に入りました。早い! 「春・夏・秋・冬」という4季節が72まで分割される分、どんどん巡っていきますね。 魚氷に上がる(うおこおりにあがる) 暖かくなって湖の氷が割れ、氷下で泳いでいた魚が跳ね上がり氷の上にあがるころ。春先の薄く張った氷のことを「薄氷(うすらい)」と呼んでいます。 自然の中で暮らしていると実際に目にすることもあるかもしれないですが、私の身近だと朝のバケツに張った水の表面が凍ってい

    <立春>季節がまた一つ進む

    <立春>青豆香る鶯餅

    柔らかな黄緑色の粉を纏った「鶯餅」。 旧暦の正月でもある立春までは、寒い冬を耐えて春が来る喜びを表すような意匠のお菓子が多いといわれます。鶯の丸い形を模した求肥に青大豆のきなこをまぶしたこの和菓子がこの季節が「旬」ということを改めて知りました。 まだ鶯の鳴き声を聴くことができるのは少し先になりそうだけど、こんなにも春の到来が待ち遠しいと感じるなんて。そんな事を思いながら、おいしく頂きました。ささやかな口福に感謝。 最後に、漢字での「鶯」より、ひらがなの「うぐいす」のほうが

    <立春>青豆香る鶯餅

    <立春>淡雪のような蕪のポタージュ

    コロナ禍で一人暮らし、リモート推奨の会社に務めるのわたしは「圧倒的1人」を続けている。最初の頃は非日常の生活の中で、ハーブを育てたり、パンを作るようになったり、梅干しを作ったりと様々な試みを楽しんでいた。一人ではあるけれど、オンラインで仕事をしているし、リモートで人と話す機会はいくらでもある。友達とだって同じだ。 ただ家の中には1人しかいない。「圧倒的1人」生活である。 久々にリアルで人に会うと、うっすら涙を浮かべてしまったりしている自分に戸惑いながらも、「全然だいじょう

    <立春>淡雪のような蕪のポタージュ

    <立春>巡る季節に彩りを

    あっという間に季節は巡る。コロナ禍になって時間が過ぎるのが加速していると感じるのは私だけではないはず。日々同じようなルーティンの中で移ろう季節を感じることも少なくなってきてしまった。「noteで何を書こう」と考えている中で、自分の生活をほんの少しでも彩り豊かに過ごせるようなことをテーマに書いていこうと決めました。 季節は「春・夏・秋・冬」という4つに分割されていると思いきや、日本には二十四の節気と七十二もの季節があるということを知りました。「24のセツキと72のキセツ??」

    <立春>巡る季節に彩りを

    始める

    2021年が始まって、あっという間に1ヶ月半が経ち、もう立春も過ぎてしまった。コロナだから、緊急事態宣言が出ているから、忙しいから、と言い訳はいくらでもできるけど、まずは「始める」ことを始めよう。 ささやかで誰も見ていないこの記事をきっかけに、自分の中にあることを書き留めてみよう。 誰に向けて、何について書くかもはっきりと決めてはいないけれど「何かを綴る」ことを楽しんでいけるように。