見出し画像

出張&繁忙期から帰還しました

お久しぶりです。2週間ぶりの更新、お待たせしました。。
今月が繁忙期のピークで、出張と出張に行ってからが今まで経験したことないくらい忙しく、朝は6時台起きだし、夜は23時まで拘束されるしで、体調もガタガタ。そんな働き方を一週間ほどさせられたから、戻ってきた今も体調が元に戻っておりません。つらかった。。

というのも、派遣なのに何でこんな責任の重いプロジェクトを一人で任されているんだ?という話で、途中辛すぎて飛ぼうかと思ったよね。真剣に。
なんとか終わったけれど、このために自分が犠牲にしたものを考えると無事終わったから良かったとは全然思えなくて、派遣会社を通して苦情というか、改善を求めることは伝えた。というか、同じ派遣会社から派遣されてる他の3人も今回の働かされ方にはショックを受けていて、全員で改善を求めるメールを送った。ちょっとした労働組合みたい。でもこういうアクション、大事。

というようなこともあり、一週間分溜まった洗濯物とか家事とか、やることは無限にあるので、このブログ更新に辿り着くまで時間がかかりました。よかった、とりあえず帰ってこれて。。

今回仕事で関西へ出張で交通費は会社が出すので、仕事後に親が住んでいる家へ少し寄る予定だった。
目的はこの間手術をしたばかりの祖母に会うのと、今だに残っている自分の荷物を取りたくて。でも第一声、本当に辛かった。ちょっと衝撃が強すぎて、どこにも吐き出せなかったので、ここで書くのが初めてになる。

祖母は年が明けるともう91歳になるのだけど、昔手術した影響で今はカテーテルが必須になって、それを持ってゆっくり歩く姿がすっかり弱って見えた。というか術後だから仕方ないのかもしれないけれど、今まで何があってもあてていたトレードマークのパーマをしていなくて、この間まで私と大喧嘩していたことが思い出せないほどすっかり毒気が抜けているようだった。記憶の中の祖母はいつでも性格がきつくて、パワフルだったから、改めてショックを受けた。
一年ぶりくらいに会った母親もこのブログに書いた通り、ストレスでご飯が食べられず体重がかなり落ちていて、なんかもう別人みたいだった。もはや60代とは思えないくらい老け込んでいて、こっちが泣きそうになった。祖母にとっては50年以上住んでいた一軒家を強制退去になって、でも荷物整理する体力も気力もないから、ただただ荷物が積まれたカビっぽく慣れない賃貸の家で小さくなって暮らしている二人を見るのはあまりにも辛すぎた。

私も私で、数ヶ月の繁忙期&一週間の出張からの睡眠不足で最悪のコンディション。今ここを訪れるべきではなかったかも、、と気がついてももう遅い。カビっぽいのに加えて掃除がちゃんとできていないからか、小さな謎の虫が発生していて、短時間荷物を整理していただけで全身が痒くなってしまった。不幸中の幸いは、親の家には泊まれないことを察してホテルの予約を取っていたことかもしれない。お金で大体この世のつらいことは減らせる。

ずっと洗脳されている母親が珍しく弱音を吐いていて、ああもう限界なんだなと思ったけれど、かといって私がこれから母親の面倒をみれるかというと、それは現実的に難しい。それほど稼げないし、そもそもこれから母親と同居というのは私が精神的に辛すぎるので、本当にどうしたらいいのか分からない。

私の洗脳が解けたタイミング(6年前くらい?)で母親に「現実を見るのはつらいけど、ここから頑張ろう」という話をしたことがある。結局加害者を信じたかった母親とはそこで決別したのだけれど、私はそこからずっと一人で自立しようともがいてきて、今やっと少し形になろうとしているところ。年齢や条件が全く違うとはいえど、数年でこんなに立場が変わるものなのかと衝撃を受けた。もし、私があそこで自分が騙されていたことを受け入れられず親と同じ選択をしていたら、自分もこれに巻き込まれていたんだ、と思うと正直寒気がした。

仕事で疲れ果てていたのにそんなさらにつらい場所に行ってしまったことで、疲労困憊の状態で東京の自宅に帰宅したのだけれど、着いた瞬間その空間があまりに安心できる、守られた空間であることに涙が出そうになった。この空間のためにここ数年ずっと、あらゆるものと戦ってきたのだと思った。

痒くなってしまった服はすぐに熱湯とオキシクリーンで漬け置き洗いして、一週間分の下着やシャツは念の為二度洗濯して、床に横になってみた。洗濯物を乾燥している温かい空気と甘い匂いにつられて、目を閉じる。これからどうすればいいのかは本当に分からない。でもとりあえず今の居場所を守るのを大切にしないといけないことだけはたしかだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?