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映画『ボヘミアン・ラプソディ』を起承転結で分解、分析したら、ヒットの理由がわかったよ

先日、ゲーム制作会社さんの研修で、映画『ボヘミアン・ラプソディ』のシナリオ分析をしました。せっかくなので、Noteでも公開してみます。

シナリオ・センターは、1970年に優秀なシナリオライター・脚本家、プロデューサー、ディレクターの養成を目的に、新井一が創立。
ジェームス三木さん、内館牧子さん、岡田惠和さんなど600名以上の脚本家、小説家を輩出するの学校です。2020年で50周年!
URL:https://www.scenario.co.jp/

全編をそこそこ細かく分析してます。映画のネタバレはもちろん含みます。
また一部、細かいセリフなど記憶違いの箇所もあるかもしれません。

それでも良ければ、是非お読みください。「あ、こういう構造になっているのね」というのが、わかると思います。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』分析の経緯。
シナリオ・センターが実施している制作会社さん向けの『ずれないディレクション研修』では、創作というクリエイティブの世界にも、土台にロジックがあって、『ロジック』と『クリエイティブ』どちらが欠けても魅力的な作品にはならないよ、ということをお伝えしています。

映画分析は、ヒット作品が、起承転結の機能をきちんと踏まえていることを確認するために実施しています。

『ボヘミアン・ラプソディ』オープニング

○ライブ会場
 ライブ開始直前のフレディの後ろ姿。
 観客の歓声。

オープニング部分では、ライブに向かうの後ろ姿が印象的です。Queenのメンバーか登場しないことで、この先のシーンへの期待感が冒頭から観客の中で高まります。

起承転結の『起』:約20分

登場人物の紹介、そして物語の方向性が明確に

まず、起承転結それぞれに機能があります。機能とは、観客に伝えるべきこと、だと考えていただくといいと思います。

では『起』の機能について整理しておきます。
『起』の機能の一つ目は、天地人の整理です。
天地人とは、
天:時代
地:場所・舞台
人:人物

そして、二つ目はアンチテーゼです。アンチテーゼとは、テーマに相反するものという意味です。

映画でもドラマでも、物語を分析する際のポイントは、機能を満たしているかというロジック面、どう表現しているかというクリエイティブ面を切り分けて考えることです。
これは、自分の作品の直しの時も有効です。

では、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の起はどうでしょうか。

○ ○○年 空港
 積み荷の仕事中「パキ!」とバカにされる主人公フレディ

この映画は、ちょっと情けないフレディの姿から始まります。
のちのちライブエイドでパフォーマンスをする主人公の何者でもない時期からの物語だよ、ということをオープニングとトップシーンで伝えています。

天地人の「天」「地」を紹介しています。

○ フレディの実家
 フォルークと呼ばれる主人公。自らをフレディと呼ぶ。ライブへ行こうとするフレディに、父親は「善き思い、善き言葉、善き行い」と伝える。
それに対して、その結果が父さんだ!と言い放つ。

【アンチテーゼその1】
このシーンで、主人公フレディと父親の関係がうまくいっていないことがわかります。

○ライブハウス・中
 お気に入りのバントSmileを探すフレディ。メアリーにたずねる。お互いに惹かれあっている様子。

○ライブハウス・外
 楽屋裏では、Smileが解散。途方にくれる残されたギターのブライアンとドラムのロジャー。

このときにロジャーが「女遊びの方がいい」というセリフに、ロジャーのキャラクターが出ていてクスリとさせられます。

 そこにフレディ登場。ボーカルとして加入を希望。「その歯で?」とバカにされるが、驚異の声量に即メンバー入りが決まる。

○洋服店
 メアリーの働く洋服店に行くフレディ。女性ものの服に惹かれる。そしてそんなフレディにいろいろな服や化粧を提案するメアリー。距離が縮まる二人。

大胆な行動力とメアリーに声をかけるときの繊細さという性格の二面性、そして歌唱力という特徴、のちの物語につながるセクシャリティの部分まで、主人公フレディのキャラクターを紹介しています。

また、メアリー、ブライアン、ロジャーと主要な人物もここで登場させています。

「こんな人たちの物語ですよ」という天地人の「人」の部分を、短時間で紹介しています。

○ライブハウス
 クイーンとなって初ライブ。マイクが手につかず、ここでもまた「パキやろう!」とバカにされるフレディ。
 歌詞を変えて歌うフレディ。当初はメンバーも困惑していますが、やがて観客もバンドも一体に。

○道
  一年後。
故障した車を売って、レコーディングしようというフレディ。

○レコーディング
 レコーディングで盛り上がるメンバーたち。興味深そうに見つめるレコード会社の人物。

○メアリーの部屋
  フレディとメアリーの親密な様子。

○フレディの実家
 クイーンのメンバーみんなで、フレディの実家へ。父親の苦労話やフレディの小さいころのアルバムなどが出てくる。

 思い出話を遮るように、「フレディ・マーキュリー」改名を告げるフレディ。

 そんな中、鳴り響く電話。レコード会社から契約の話。

【アンチテーゼその2】
思い出話をしている家族と仲間たち⇔そのなかでフレディの改名宣言
相反することをひとつのシーンの中で描くことで、より強くフレディの感情を伝えています。

このフレディの実家でのシーンは、フレディがありのままの自分を受け入れられずにいる様子が描かれています。
そのことを表す『リトマス』として、昔のアルバムという小道具が効いています。
『リトマス』という技術については、こちらの動画をどうぞ。
https://youtu.be/q7FsQ_gZzic

○オープンカフェ
 レコード会社との初対面。マネージャーのポール登場。
 クイーンとほかのバンドとの違いを聞かれ、ブライアンが「僕らはお互いのために音楽を鳴らす。家族だ」といいます。

「家族だ」と満足げに伝えるブライアンの表情でこのシーンが終わります。シーン尻に「家族だ」というセリフをもってくることで、観客に「家族」というワードを記憶させています。
なぜなら「家族」というのがこの映画にとってキーになるからです。

シーンの終わりをシーン尻といいますが、シーン尻は印象に残りやすいという特徴があります。このシーンは、シーン尻を効果的に使っている例とも言えます。

ここまでが起承転結の起ではないでしょうか。

『起』のポイントは、必要な情報を説明的に描かないこと

起は物語の導入部分です。どんな設定なのか、どんな人物が登場するのかなど、説明すべきことが多いパートになります。

そのため、創作する際に気をつけたいのは、「起」が説明的になってしまうことです。

『ボヘミアンラプソディ』の起では、天地人の紹介、そしてアンチテーゼがヌケモレなく描かれています。

しかし、全く説明くささを感じさせません。それは魅力的なエピソードによって描かれているからです。

では、魅力的なエピソードはどう描くのか。それは、登場人物らしさがシーンにでているか、否かです。

また起のなかでも、
「何者でもなかったフレディ」⇔「何者かになり始めるフレディ」
という変化が見て取れます。
起の時点で、変化があることで、次なる変化を観客に期待させています。

「承」の機能は、主人公を困らせること

続いて、起承転結の「承」を見ていきましょう。
(文体がいつもよりマジメ。笑)

「承」の機能を整理します。
「承」は物語の主要部分です。全体の7割近くを「承」が占めます。

「承」では、主人公に障害をぶつけることで、葛藤させます。ここで主人公を困らせれば困らせるほど、観客は感情移入していきます。

「承」その1
フレディ、愛のカタチで葛藤

〇BBCラジオでの収録
 BBCラジオで口パク収録に怒りつつも、無事に収録。スタジオ裏はドタバタ。

スタジオの様子ひとつで、いかにQUEENがその時代に異質な存在だったかがわかります。

〇メアリーの家
 フレディとメアリー、愛を語り合う二人。多くのファンの前で歌うことは「なりたいと思ってた自分になれる」とフレディ。

 そして、フレディはメアリーにプロポーズ。指輪をわたし「外さないで」と伝える。

 そんないい雰囲気の二人の部屋に、バンドメンバーが乱入。アメリアツアーの決定を伝えます。

メアリーでの家のシーンは、のちのドラマにもかかわる重要な情報をたくさん観客に伝えています。
1.何者でもない自分が、なりたい自分になったと思っている点
2. 「外さないで」と言って渡す指輪が二人の関係を象徴するものになる点
3. 二人の部屋にメンバーが乱入。メンバー同士の家族のような親密さが伝わる点。
特にプロポーズという大切なタイミングに、乱入しても成立するバンドメンバーの存在は「家族」的な特別なつながりを感じさせます。

〇アメリカツアー
 各地で人気をはくすQUEEN。
 トイレに行く男性を目で追うフレディ。

ここで初めて、フレディのセクシュアリティについて描写されます。
メアリーとの電話の時に……というのも、ポイントです。

〇音楽事務所
 レコード契約。QUEENは今までのどのバンドとも違うと主張。
 のちのちプロデューサーとしてかかわるジム・ビーチも登場。フレディに「マイアミ・ビーチ」と名乗れと言われる。

〇レコーディングスタジオ(ロックフィールズ)
 レコーディング合宿にいくQUEENのメンバー。

 深夜、ピアノを弾くフレディにマネージャーのポールがキス。拒むフレディ。

 朝、曲のことでもめるバンドのメンバーたち。

〇スタジオ
 名曲『ボヘミアンラプソディ』を収録。

〇音楽事務所
  『ボヘミアンラプソディ』をA面にしたいバンドメンバーとレコード会社との対立。
『ボヘミアンラプソディ』はB面に。

〇ラジオ収録スタジオ
 『ボヘミアンラプソディ』を推したいフレディは、親しいラジオパーソナリティーの番組で『ボヘミアンラプソディ』を流す。

 評論家の評価はさんざん。しかし人気に火が付き、世界ツアーが決まる。

このシーンでは、フレディとラジオパーソナリティーとの間に流れる独特の雰囲気に、収録に立ち会っていたメアリーが言い知れぬ不安を抱きます。
このシーンの最後のカットは、スタジオの外側で二人の様子を不安そうに見るメアリーと、スタジオの中で楽し気にシャンパンを飲む二人の様子という、独特な引きのカットになっています。

メアリーが入り込めない一線ということを、スタジオの中と外で、象徴的に表現してます。

〇ライブツアー
 全世界を席巻しているQUEENの姿。

 ライブ終了後、メアリーとフレディの電話。早くフレディに会いたいというメアリー。なぜか、お茶を濁すフレディ。
電話を切り、ポールと男性と一緒にホテルへ引き上げるフレディ。

〇ホテルの朝
 フレディは、ソファで寝る男を一瞥。ポールにすぐに帰らせるように伝える。

〇メアリーの家
 世界ツアーでの話を嬉しそうにするフレディ。
 その後、メアリーに「自分はバイだ」と告げるフレディ。しかしメアリーは「あなたは、ゲイよ」と告げ、指輪を外そうとする。
 「外さないで」というフレディ。「私に何を望むの?」というメアリーに「ほぼ、すべてを望む」とフレディ。

このシーンは、せつないシーンですが後ろで流れるQUEENの音楽は、愛についての歌です。音楽とシーンが相反していることで、このシーンがより一層せつなくなります。

このような音楽の使い方は、黒澤明監督の『生きる』でも使われている手法です。


ここまでが、承のひとつ目です。
メアリーへの愛の告白から始まるも、承1の終わりではメアリーとの関係が変わってしまうまでかなと。
承1は、フレディが自身の愛のカタチに葛藤する姿を描いているといえるのではないでしょうか。
ここでも、承1の最初と最後で変化があります。

また、起から承1までを観ても、
何者でもないフレディ
→バンドの成功するも愛のカタチで葛藤
→メアリーとの破局となっています。

バンドが成功していく一方、フレディの葛藤が深くなっていくのがわかります。そんなフレディが、さぁどうなるのか……観客は気になります。

「承」その2
フレディ、バンドで葛藤

〇新しい家
 豪華な家を建てるフレディ。ロジャーをディナーに誘いますが、「家族もいるし無理だ」と断られる。

 大きな家で一人さみしそうなフレディ。メアリーに電話。そして、メアリーに窓の外を見てと伝え、自分の家のライトをつけたり消したりするフレディ。メアリーの部屋からも見えるライトの光。
メアリーにも同じようにしてと頼み、チカチカするライトをみて、満足げなフレディ。電話越しに、「乾杯しよう」と告げ、「グラスを用意して」といいますが、メアリーはグラスを用意することなく、乾杯。

部屋の明かりをチカチカするシーン、フレディの孤独と、フレディから心が離れているメアリーの気持ちがセリフなしで伝わってきます。

〇新しい家でのパーティー
 フレディは、ポールに頼んで自宅でパーティーを開催。パーティーに招かれるメンバーたち。しかしフレディの振る舞いに呆れたメンバーが帰宅。

 深夜、部屋を片付けているボーイと語り合うフレディ。「僕には友達が必要」と打ち明けるフレディ。ボーイのジムは「本当の自分を見つけたら会おう」。

〇レコーディングスタジオ
 収録に遅れるフレディ。イラついたブライアンが『We will rock you』を提案。リズムに合わせてパフォーマンスをするフレディ。

さらなる成功を掴むQUEEN。

このシーンでは、遅れてやってくるフレディ以外のメンバーは、みんな奥さんを伴っています。『We will rock you』誕生のたまらないシーンですが、一方でフレディだけひとりぼっちだということも表現されています。

〇ライブ終了後の楽屋
 フレディにソロの話がきていることを、プロデューサーに耳打ちするフレディ。

 ライブを観に来ていたメアリー。ライブ後の楽屋にねぎらいに。メアリーが指輪を外していることに気づくフレディ。彼氏を紹介するメアリー。
 二人をさみしそうに見送るフレディ。そんなフレディの様子を気にかけるポール。

物語の序盤プロポーズのシーンから登場する指輪がついに外されています。「外さないで」と2回言われていることで、観客の印象にも残る二人の関係を表す小道具として、指輪が効果的に使われています。

〇車内
 ソロの話を持ち掛けるプロデューサー。「ソロになれば、バンドのわだかまりも解決する」と言われ、フレディは激怒。プロデューサーは車から降ろされ、解雇。

 セクシュアリティ、父親との関係……自分とフレディは、同じ身の上だと語るポール。

〇実家
 フレディのスキャンダルが取り上げられた新聞をよむ父親

〇スタジオ
 プロデューサーを勝手に解雇したことに激怒するバンドメンバー。その中でまた生まれる新曲。

『We will rock you』のレコーディングしかり、バンドは揉めつつも音楽においては繋がりあっている様子が、ここまでは描かれています。

〇記者会見
 フレディについての質問に終始する記者たち。追い込まれるフレディ。

〇フレディの家
 メアリーの部屋に向かってライトをチカチカするフレディ。メアリーの部屋からの反応はなし。

〇PVの撮影
 はしゃいだ様子で撮影をするメンバーたち。フレディだけ、ひとりぼっち。

フレディの家でのライトのチカチカ、そしてPV撮影風景。どんどん孤独になっていくフレディの姿が描かれています。

〇ホテルの部屋
 電話帳でジムを探すフレディ。ポールに呼ばれる。

〇ホテルの会議室
 バンドメンバーにソロになることを告げるフレディ。
 メンバーは、「僕らは家族だろ」と反対。しかし「家族じゃない!僕だけひとりだ」と怒鳴るフレディ。

「君には、君が思っている以上に僕らが必要だ」と告げるブライアン。
「家族は金では買えない」とつぶやくディーコン。メンバーの声が、部屋にむなしく響く。

フレディが、メンバーそれぞれを揶揄するセリフは、フレディのキャラクターならではです。(実際に言ったのかな?)
「家族ではない!」と、メンバーそれぞれに言い放つことで、今後の修復のむずかしさを、観客に印象つけています。


ここまでが承のふたつ目ではないでしょうか。承2の中心は、バンドとフレディの関係性の変化です。この承2の構成でうまいのは、車内でのやり取り。ここでフレディの口から、バンドに問題はない!と言わせている点です。
このシーンがあることで、メンバーとの決別シーンがより印象的に映ります。

承のひとつ目とふたつ目を比べて注目してもらいたいのは、フレディの抱える葛藤がより深刻になることです。主人公を、どんどん追い詰めています。
「さぁ、そんなフレディはどうなっちまうんだ」と、観客は心配しながら観るわけです。
主人公を困らせることで、観客に感情移入させています。

「承」その3
フレディ、生死との葛藤

○1984年 ミュンヘンのスタジオ
 レコーディングシーン。レコーディングが思うように進まないフレディ。
 ミキサーに勝手に指示を出すポール。

 パーティーのバカ騒ぎを抜けるフレディ。

 バンドエイドの話、メアリーからの電話、すべてを遮断するポール。

 レコーディングスタジオで、咳をするフレディ。血がついている。

○フレディの家
 ソファで一人眠るフレディ。
 心配したメアリーが駆けつける。荒れた生活を物語る部屋。
 メアリーに、「ここにいてほしい。君が必要」と告げるフレディ。しかしメアリーは「ここにはいれない。妊娠している」と告げる。思わず、「なんてことだ」と言ってしまうフレディ。部屋を出ていくメアリー。

○フレディの家・外
 待たせておいたタクシーに乗るメアリー。止めるフレディ。
 ライブエイドの話、そして「ここにあなたのことを心から心配する人はいない。あなたの家族のもとに戻れ」と告げるメアリー。
 立ち尽くすフレディ。

ここに、このドラマのひとつのキーワード『家族』が出てきます。起で、わざわざ印象に残るように、シーン尻を使ってブライアンに言わせたセリフ、バント決別の時にいわせた「家族じゃない」というセリフが、ここで利いてきます。

セリフは、登場人物たちの会話のように感じさせながらも、観客に聞かせるものです。観客に、何を聞かせておくことが必要かを考えるだけで、構成がグッと引き締まります。

 メアリーと入れ違うように、仲間たちと帰ってくるポール。フレディが「お前はハエ。腐りかけたものにたかるハエだ」といって、ポールと決別。

ポールを咎めながらも、自らを「腐りかけ」というところに、自信満々だったフレディの深い苦悩が伝わります。

このシーンは、雨のなかで描かれます。「雨」が持つ効果は、こういった悲壮なシーンによく似合います。

シナリオを書いていると、どうしても天候のことを忘れがちですが、登場人物の心情やシーンの状況と、天候や季節が合うかどうかを考えるだけでも表現の幅は広がってきます。

例えばこのシーン、よく晴れた昼下がりでは雰囲気が出ません。

○フレディの家
 ポールの告発をTVでみるフレディ。電話でライブエイドへの想い、「母船に戻りたい」とマイアミ・ビーチに伝えるフレディ。

このシーンで、マイアミ・ビーチに「頼むよ、ジム」とあだ名ではなく本名で言っています。傲慢なロックスターフレディとしてではなく、一人の人間としての言葉になっていることが、このセリフひとつで伝わってきます。
「お前は、マイアミ・ビーチだ」という契約時のセリフが伏線になっています。

○音楽事務所の会議室
 緊張した様子で、メンバーの到着をまつフレディ。
 しばらくして、入ってくるメンバーたち。
 フレディ自ら、メンバーに今までのふるまいを謝罪します。謝罪を受け入れるメンバーたち。
 さらに、QUEENとしてライブエイドに出演してほしいと、メンバーに持ち掛けるフレディ。この機を逃すと、一生後悔すると告げます。

 部屋の外で待つフレディ。

 そして、QUEENの復活が決まる。

このシーンは、再びQUEENが復活するかどうか緊張のシーンです。メンバーの到着を待つフレディの緊張が、観客にも伝わります。

シーンの頭から、人物がその場にいることを『板付き』といいますが、先にいる人物の方が、後から来る人物よりも思いが強く見えるという効果があります。そのため、観客はフレディに自然と感情移入をします。

○フレディの家
 テレビではエイズのニュース。真剣な表情で見るフレディ。

○病院
 診察結果を聞くフレディ。

 病院をあとにするフレディ。うしろ姿に向かって、「エーオ」と声をかける患者。「エオ」と短く答えるフレディ。

何気ないシーンですが、フレィデがエイズと向きあいながらも、パフォーマーとして生きる覚悟を感じる、そんなシーンなっています。


ここまでが、承その3でしょうか。
孤独とプレッシャーに、心も身体もむしばまれ、追い込まれるフレディ。最も大きな障害がやってきます。

ここでのポイントは、主人公に降りかかる問題を、主人公自らが行動し、問題を解決していくということです。
大切なものを失ったフレディが、メアリーの説得もあって自分を取り戻します。最後に動くのは主人公のフレディです。
メアリーのセリフは、あくまでフレディを動かすためのリトマスです。

転:テーマを伝える
フレディ、失ったものすべてを取り戻す

転の機能は、テーマを伝えることです。
テーマというのは、この物語を通して作者が伝えたかったことといえます。

とはいえ、テーマそのものを語ってしまっては、観客は興ざめしてしまいます。なのでテーマを伝えるポイントは、無言です。
テーマそのものは、語らないということです。

『ボヘミアン・ラプソディ』は、どう表現しているでしょうか。

○練習スタジオ
 曲を練習するQUEENのメンバー。声の調子が悪いフレディ。今日はここまでと伝えます。
楽器を片付けながら「飲みに行こう」と話しているメンバーたちに、フレディは、意を決して告白します。「エイズだ」と。
 しかし最後までパフォーマーとして生きると宣言するフレディ。肩を抱き合う4人。

このシーンで、バラバラだったバンドが本当の意味で、もう一度『家族』に戻ったことがわかります。
ここのシーン尻で、飲みに行こうとするのが4人になっている様子が、ちらっと映るのも、ほほえましい。

○フレディの家
 ライブエイド当時。のどの調子を確認するフレディ。

○ジムの家
 ジムの家を訪ねるフレディ。「本当の自分を見つけた」と告げる。

○フレディの実家
 家族にジムを紹介するフレディ。ジムの手を握る。
 ライブエイドに出演することを告げるフレディ。慈善活動の一環だと告げ、「父さんの教えだよ」と伝える。

 去り際に、キスを送るよ、と母親に告げるフレディ。

起では、父親の教えを小ばかにするフレディが、ここで父親と和解します。自分の生まれ、そしてセクシャリティ。ありのままの自分をフレディが受け入れたことがわかります。

テーマを無言で伝えるためには、起のアンチテーゼが重要になります。テーマに対するアンチから始まることで、主人公の変化が生まれ、テーマを直接的に言う必要がなくなります。
観客は物語を冒頭から観ますが、作り手は物語を「転」から逆算して作るという視点が必要になります。

○ライブ控室
 バンドメンバー、ジム、そしてメアリー。フレディにとってかけがいのない存在がすべて集まります。

 そして、出番。ライブへと向かうフレディの後ろ姿。

オープニングへと結びつきます。おしゃれな構成です。ちょっと技術っぽく言えば、現在→過去→現在という形で、過去を挟むサンドイッチ回想法とも言えます。

ここまでが「転」。テーマを直接ではなくシーンで伝えています。つまり無言です。

無言でテーマを伝えるのは何がいいのか。それは、観客に感じる余地を与えるからです。
『ボヘミアン・ラプソディ』は、QUEENの栄光と挫折、そして復活をモチーフに、QUEEN結成時からライブエイド当日までという素材を使って、テーマを伝えています。

作者はテーマを想定して作りますが、物語を通して何を感じるかは、観客のものです。
ある人は、『ボヘミアン・ラプソディ』を観て、仲間の大切さを感じるかもしれませんし、絆の尊さを感じるかもしれません。もしくは人には誰しも帰るべき場所があるというメッセージを受け止めるかもしれません。バンドはやっぱり、最高だよな、でもいいわけです。

テーマを無言で伝えるからこそ、様々な観客の心に刺さる物語になります。そしてテーマを無言で伝えるためにも、構成が大切になってきます。

ただし!創作者側はテーマを明確に、一言で表せたほうがいいと思います。
なぜなら、創作時に向かうべき方向性がブレないからです。

結:テーマの定着と余韻
ライブシーンは圧巻の余韻を感じさせる

「結」の機能は、テーマの定着と余韻です。結は、観客が余韻に浸るためのものです。そのため、ここに必要以上のドラマはいりません。

通常「結」というのは、ワンシーン程度の本当に短い時間です。映画『卒業』でいえば、教会から逃げた二人が乗り込んだバスの中の様子が、結です。それくらい短いものです。

そういう意味では、『ボヘミアン・ラプソディ』の場合は、すべてライブシーンという長めの結。特殊な形です。ただ、やはりこれはQUEENをモチーフにした映画ならではの、素晴らしい結といえます。

この結に映るすべての人物の表情が、笑顔です。本当の自分を見つけたフレディの姿に、誰もが酔いしれています。これはもう、文句なしの結ですよね!

『ボヘミアン・ラプソディ』ヒットの法則

映画『ボヘミアン・ラプソディ』のヒットを語るときに、Queen人気とラスト20分のライブシーンが必ず語られます。

たしかにそれらは、ヒットの重要な要素だと思います。ですが、それ以上に計算されたロジックの上に、魅力的なエピソードが積み上げられているからだといえるのではないでしょうか。

『ボヘミアン・ラプソディ』は、物語の基本に忠実に作っているからこそ、誰もが感情移入をしながら、ドラマを味わうことができるのです。
ラスト20分の「結」が、あれだけ感動的なのも、そこまでのドラマの積み上げがあるからです。

型を知ることで、型破りな作品を創っている好例といえるのではないでしょうか。

こういったシナリオ分析をすることで、型の大切さ、基本の大切さを改めて感じます。
創作者の方は、いたずらに奇をてらって、型くずれにならないように要注意です。

だって、全部『シナリオの基礎技術』に書いてあっからね。

と、こんなところかな。

あぁ~1万字超えた。疲れた。細かいところは、記憶違いの箇所もあるかもしれません。
また、どのシーンで起承転結を区切るのかも人によって多少違うかもしれませんが、映画を分析する際や、ご自身の作品を見直す際の手掛かりにしてもらえたらなぁと思います。

映画ってすごいよね。
今度はもう少し端的にだけど『パラサイト 半地下の家族』も分析してみたいなぁ、と。
型破りだからこそのシーンがあるんですよ!

おしまい。


プロデューサーやディレクターの方向けの研修もしておりますので、ご興味ある方はこちらもどうぞ。


こちらはサイバーエージェントさんで実施した研修の感じ。(今回のシナリオ分析とは別件)


『ずれないディレクション研修』を始めたわけ



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