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閉鎖病棟24時|K先生 No.3

このコラムは、今日も現場で働き続けている精神科医(病棟医)と精神科ナースへ敬意を込めて発信する。

ポケットからクッピーラムネ

白衣(ドクターコート)のポケットにいつもクッピーラムネをしのばせて病棟を歩き回る先生がいた。K先生。

私が最初に餌付けされたのは、わんわんと泣いた診察室。入院してすぐ保護室に入れてもらってから1週間後。やっと意識が戻り始めた時、『血圧測ります。きてください。』と案内された詰所に先生がいた。

なんで入院することになったかにも、早く出たいことにも腹を立てていたので泣いた。そしたら、ガーナチョコレートのバラエティパックの一袋(あのちっちゃいチョコ)を『まぁこれ食べや』とくれた。

お腹がペコペコだった。症状が悪い時は特に甘いものが食べたくなるから、『神!』と思いながら食べた。

食べたらちょっと先生のこと好きになるから不思議だ。

ポロポロと本音をこぼした。頭の中に数人の人がいて、会話するのに忙しいだとか、早く働きに戻らないと稼がないと生計が立たないだとか、とにかく家族に会いたいだとか。

お菓子ひとつで信頼関係を結ぶのが超速だった。

『みんなには内緒やで』

あとで患者さんと情報共有して気付いたが、

みんなもクッピーラムネもらってた。

朝6時に病棟にいる

保護室にはカメラとマイクがついていて、詰所に映像も音声も流れる。患者さんが正常かどうか判断するのは、朝のようだ。眠っていたら、睡眠リズムが正常に戻りつつある。逆に興奮してたら、睡眠が上手くとれてなくて、早朝起きてる。

その判断をするために、先生は6時に詰所にいた。そして19時頃まで平気で病棟の患者さんとコミュニケーションとったりもしてた。日中は外来。

働き方改革とか知ってるのかな?

ただその先生のおかげで、私は保護室を出るタイミングが早くも、遅くもなく、ちょうどよく出れた。2週間でね。

スタバの紙袋

保護室を出て、一般病棟に移った。その先生からのお菓子は入院日数を増すごとにグレードアップした。

月:ガーナチョコ(小袋)、クッピーラムネ

水:クランキー(小袋)、クッピーラムネ、ビスコ

木:クッピーラムネ、ビスコ、梅ミンツ、オリオンのミニコーラ、森永ラムネ

高頻度、高確率で増量。

『kokoroさん』と言いながら手をこまねく。その後、

『みんなには内緒やで』と渡す。

病棟内の愚痴や、自分の症状の回復過程での不安(離人感や過眠など)を相談する診察のような時間をそもそも週3回もとってくれること自体、異例なのだ。少なくとも他の病院では診察は週1だった。その上、菓子がもらえる。意味不明。

スタバの紙袋を渡してこられた日があって、?と思ったら、

中にパンパンの駄菓子(前述のによっちゃんイカとか、ポテトフライとか)

『みんなには内緒やで』

『え、先生、これ、なんで?』といろんな意味を込めてなんで?を発信したら

『豪華に見えるやろ?』

とスタバの紙袋を使用した意味を伝えてきた。

もうこれは他の患者さんに内緒にしなくてはいけないレベルになった。

正解や。今日、一番難しいところ越えた。

退院するまでに、患者が越えなければいけないところが

外出、外泊

外泊も長さがあって、一泊二日、三泊四日など、何回か繰り返す人がいる。全く刺激のない世界、閉鎖病棟から、外の世界の刺激へ慣れるため。

保護室から出て、2週間。入院して約1ヶ月。やっと外出をする機会をもらえた。

1ヶ月ずっと閉鎖病棟にいた。外での生活をしてない。

それは何を意味するかというと

病院の外で行われている社会生活へのリハビリが必要なレベルに至っているということである。

外出する前は自分もドキドキしている。電車に乗れるか、売店以外のレジでお金を使って消費行動ができるか、周りの人に変に思われないか。

この時の私はまだ離人感というものがあって、ショーケースの中を覗いて生活をしていると感じる感覚が取れていなかった。(自分とその場の感覚の境がわからない)

バスに乗って、駅へ行く。電車には乗らず、とりあえず駅構内に入り、駅の売店で買い物をする。帰りのバスを時間通りに待つ。バスに乗って病院へ帰る。

それだけの一日。

帰ってきて興奮していた。

車が走る速さ、院外の人との会話(レジ)、道を歩く人々、店の商品の多さ、階段や坂道。全てが病院にないもの。でも1ヶ月前は目にも止めなかったもの達に興奮していた。

K先生は帰る予定時間には部屋の前にいてくれてた。

手を上げながら『おう、どうやった?』

『先生、なんか、私、ぼーっとなら行きていけそう』

『正解や。』

『なんかつり銭の金額があってるかとか、商品ごとのコスパの良さの比較とか、気を回した会話とか、多分できひん。でも、目の前のパンをとって、レジに持ってって、適当にお金出して、買うことができるから、多分この先、生きてはいける。』

『今日、一番難しいところ越えたな。』

『なんで?どうなると思ってた?』

『先生は、パニックなって帰ってこない時のこと考えてた。』

『あははは。私、ぼーっとなら行きていけそうや!』

『そう。生きてるだけでOK。』


K先生。今も私ちゃんと生きてるよ。ちなみに頭もそこそこ回復して、後遺症あんま残ってないよ。ありがとう。あそこまで治してくれてありがとう。

私は他にも4つの病院に入院したことがあるけれど、今のところK先生がダントツで気持ちのある治療をしてくれたと思っている。

また入院するならお世話になりたいくらいだけど、ご縁が切れるのが多分一番いいことだったりするのかも。

病気と患者と医者ってそういうもの。


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