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自分は何ができるのか?と書籍『ピッツァ職人』を手に取ったら、キャリアの悩みに光が差した話

今、自分のキャリアについて悩んでいる。

社会人になって、ちょうど10年目。とはいえ、ずっと働いていたわけではない。数えてみると、仕事に就いていたのは、10年のうち5年だけ。ザックリ言うと、音楽教員として働いた後、ライターの活動を始めて今に至る。その他の5年は留学・結婚・出産・子育てをしていたら、いつの間にか過ぎていた。(ブログは趣味の範囲で書いていたけれど)


だからなのか。「自分って、何ができるんだっけ?」みたいな問題にぶつかっている。

「そもそも興味・関心が色んな方向に散らばっていて、何がやりたいのか自分でも分からん…」
「34歳になって、なに1つ専門性を持っていないのでは?」
「ていうか、磨くほどのスキルを持っているのか?」
など、挙げ出したらキリがない。

でも、今回紹介する『ピッツァ職人』(井川直子著/ミシマ社)を読んでから、その悩みがジンワリと薄まってきた感覚がある。「専門性」とか「スキル」とか、複雑に考える必要はなかったんだ。そう気付かされた。


キャリアで悩む原因は、コンプレックスだった

今までの人生で1つのものを極めたことがない、というのがコンプレックスだ。

幼稚園の頃にピアノを習い始め、小学校から高校までは吹奏楽部に所属。大学では声楽を専攻し、大学院まで進学した。そのあとは音楽教員として4年間、働いた。

これまでずっと音楽と一緒に生きてきたような気はしていたが、それは「音楽」という広い括りなわけで。自分の中では「1つのことを極めた」という感覚が、実はあまりない。

音楽というジャンルを少しずつかじっていたら、穴あきチーズができあがったような感じだ。

ライターを始めてからは、特に「私ができることって何なんだ?」と考える時間が増えた。興味・関心のあるジャンルも多いので、いまひとつ絞りきれない。考えれば考えるほど、答えを出せないまま沼にハマっていくような感覚だ。

だから1つのことを極める「職人」に憧れているのかもしれない。どうやって人生を決めたのか。その考えを覗き見たいという理由もあって、この本を手に取った。(もちろん井川さんの文章が好きという理由も大きい)

主人公は、周りから見ると「スゴイ人」

『ピッツァ職人』の主人公は、中村拓巳さんというピッツァ職人。16歳でナポリピッツァに出合い、17歳には東京で職人に。そこから18歳で単身でナポリへ渡り、既に20年ほどピッツァを焼き続けている。

本を読む前は、正直「この人はむしろピッツァから選ばれた、特別な人なんだ」と思っていた。事実、権威ある大会で日本一位、世界三位という成績もおさめている。文字通り「スゴい人」だ。きっと最初から飲食業界にゆかりのある人なんだろう、と思いながらページをめくっていた。

すると、第二章で予想外の展開に出くわす。

実は彼、ナポリピッツァに出合う前は「バスケでNBAへ行く」という夢があった。しかし中学最後の全国大会で、現実が見えてしまったそうだ。そこから学校へ行く意味も見出せず、苦しい日々を過ごす。高校は数日で登校をやめ、1カ月後に退学。「壁を殴って穴を空け、部屋のものをひっくり返す」ことをしていたようだ。

そんな彼が、どうやってピッツァに出合ったのか。

詳細は本に書かれているが、きっかけは父親が渡した調理師専門学校のパンフレットだった。

「自分でも、ずっとこのままってわけにはいかないと気づき始めていたのかもしれませんね。だからといって、将来料理人になってどうこうしよう、ってところまでは考えられなかったけど」
ただ、こう感じたのだ。
「こっちなのかな」
自分の心の、微かな振れを逃さぬように、彼は一歩を踏み出した。

『ピッツァ職人』第二章 学校(p. 30)

そこからは怒涛の展開。中村さんだけでなく、たくさんのピッツァ職人が登場する。

さらにナポリピッツァが日本へ来た歴史も書かれており「こうして海外の食文化が日本で流行るようになるのか」と、勉強にもなった。そこで初めて「大学の頃よく通っていたピッツェリアの経営者は、日本ナポリピッツァの先駆者だったのか!」と分かり、読みながら興奮した。

選ばれた人だけが道を拓けるのか?

しかし、ここで「1つのことを極めていない私」は、やはりコンプレックスを抱いてしまう。

「こっちなのかな」と思ったことを実行するのは、分かる。一方で「本当にこの道を極められるようになるのかな?」と、不安を抱くことだってあるだろう。でもこの本に出てくる職人たちは、そんな不安をあまり感じていないような気がした。「この道だ!」と決める時、将来に対しての心配事はなかったのか?

さらに読み進めて、なるほどと思った。

「不安だ」「心配だ」などと考える以前の問題だった。本当にシンプルなことだ。ピッツァを焼き続けているから、彼らの道は今も続いている。ただそれだけ。それ以上でも、それ以下でもない。

「選ばれた人」と言うより、自分でその道を「選び続けた人」なのだ。

自分の心がそう言うなら

そして最後のあとがきが、これまた心に残る。

出合いとは、はじめから運命的な顔をしているわけじゃない。
逆に言えば、人は誰でも特別になれる、ということだ。

『ピッツァ職人』あとがき(p. 268)

「出合い」は「人生を動かすほど夢中になれる何か」のこと、と井川さんは言う。

そうだ。その通りだ。

これで生きていく!と思っても、全然続かないこともあるし、なんとなく始めてみたら、意外と続くことだってある。それに対して「夢中になれる出合いかどうか?」と考える必要はないのかもしれない。だって、それは「運命的な顔」をしていないのだから。

今自分がおかれている環境で、悩んで考えて決めた道をシンプルに選び続ければ良いだけなんだと思う。

「こっちなのかな」と感じたのなら、それが今の正解。「出合い」は、いつだって自分の意思で選ぶことができるはず。運命という言葉で片付けず、自ら掴み続けよう。手放さないでいよう。

そう考えると、今悩んでいる「キャリア問題」に光が差してきたような気がする。これから迷うことはたくさんあるだろう。それでも自分の心に従うことを決めたのなら、それで良いじゃない、と思えるようになった。

本を閉じる頃には「今日はピッツァ食べるか」と言いつつ、自分の人生についてじっくりと考えたくなるはずだ。

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