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突然「ちがう世界」に行った感覚は、何年経っても覚えている

リヒャルト・シュトラウスという、ドイツの作曲家がいる。

わたしはオペラを勉強するために大学院まで行っていたのだけれど、この作曲家の良さが全然わからなかった。


シュトラウスはモーツァルトやベートーヴェンほど有名ではないにしろ、クラシック界隈では有名な人だ。しかも、絶大な人気を誇っている。

有名なところで言えば、交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」がCMにも使われている。

ターーーーターーーーチャチャーン
ターーーーーーーーーターーーーーーーーーチャチャーーーーーーン

の曲。(これでもし分かった人がいたら、かなりスゴい)

プッチンプリンとか、はるさめヌードルとか、アクオスのCMに使われていたそうだ。


オペラの勉強をしていたが、彼の作品は本当に何が良いのか分からなかった。なぜかというと、(今なら正直に言えるが)音符の構成が複雑すぎて、「メロディないやん」と感じるような音楽だったからだ。一回聴いただけで覚えられるような、そんなやさしいものではない。


しかし修士公演で、教員の勧めによりシュトラウスが作曲した《バラの騎士》というオペラを演奏することになった。彼の作品の中では「メロディが美しい」と評されているが、「どこが?」が正直な感想だった。

でもクラシック界隈から絶大な人気を誇るシュトラウスなので、それを理解していないわたしは「なんてダメな音楽家なんだ」と、ちょっと思うところもあった。


でもまぁ、選んだものは仕方がない。修士論文よりも修士公演の審査の比重が大きかったし、とにかくやるしかなかった。

腹を括ってからは、もう、毎日毎日歌っていた。来る日も来る日も、片手でピアノの鍵盤を叩きながら、イライラしながら、地道に音を取っていた。公演は12月だったが、夏休みなんてものは存在せず、真っ黒の楽譜と向き合う日々だった。


すると、その日は突然やってくる。

今まで楽譜を見ながら音符の高低だけを気にして歌っていたはずなのに、なんならピアノ伴奏も聴こえてこないほど余裕がなかったはずなのに…わたしの耳には、確かに「メロディ」が聴こえてきた。

しかも、その美しさは、胸が締め付けられるほど切ないもので。今でもそのシーンの音楽を聴くと胸が「キュッ」となる。(このオペラでは、なんとも複雑な恋模様が描かれている)

なんだろうなぁ。あの、突然「ちがう世界」へ放り込まれたような感覚。それ以来、めちゃくちゃ《ばらの騎士》が好きになった。今でも大好きなオペラだ。(でも実は《フィガロの結婚》が1番好き)


で、なんでこんなことを思い出したのかというと、今日この記事を読んだから。

わからない悔しさをずっと抱えていられたら、何かの瞬間にふと、わかるときがくる。(古賀さん)

人の心を動かす「身体性のある文章」はどうすれば書けるのか?より

学生の時のわたしは、シュトラウスを理解できないことがずっと悔しかったのかぁ。

なんか、この記事を読んでストンッと腑に落ちたのでした。

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