『旅の極意』を読んでない。

旅の醍醐味は、名所旧跡にはない。…気の向くままにあちらこちらをそぞろ歩いたり、旅先で半日ボケーッとするような、”漂泊の時間”を、持つことこそにある。

大前研一 / 旅の極意、人生の極意

その文章は、まるで私の心に引っかかるかぐわしい匂いのような魅力を放っていた。慌ててページをめくり、目次を読み漁った。アマルフィ、ヴェネツィア、モン・サン・ミシェル、プラハ。私も訪れたことがある土地だ。一体この著者は、プラハで何を見つけたんだろう!と期待に胸を膨らませた。

しかし、登場する場所は、カレル橋、プラハ城、黄金の小道など、まるで観光パンフレットの表紙のような有名どころばかり。そのくせして、「”ついで"に立ち寄るんじゃなくて、ニ〜三日の余裕はもっていたい。」などと言われては、宝石箱を開けたはずが、中身は安っぽい模造品だらけだったような無念さを感じさせられる。

私はもっっっと、訪れた国にどっぷり浸かりたいと、心底思う。たった1ヶ月では全く足りない。理想を言えば1年は必要だろう。いや、1年ですら短い。その程度の時間をかけて初めて、ここに暮らす人々の生活を本当の意味で理解できるはずなのだ。

私がその人々の姿を眼にするまで、私は彼らが生きていたことすら知らなかったんだ。同じ地球に生を受けているのに。もはや遠い惑星の住人となんら変わらない。今ここまで読んでくれたあなたのことも、まだ全くわからない。それがなんと勿体ないことだろうか。

知りたいんだ。窓の向こうに広がるアパートの一室一室に、人生が充満しているんだから。何処から来て何処へ往くのか。あなたと私の間の、溢れ出る「差異」と、根幹にある「共通点」を見つけたい。産まれる前から何もかも違って、かつての熱中したゲームや思春期を覚えた時期も違う。なのに、果物が嫌いとか。なのに、日の出とともに目が覚めちゃうとか。

数えればキリがない文化の違いと、滲み出る同じ部分、同じ土に根を下ろす感覚を見い出すことが、私に幸福をもたらしてくれる。「私」でないものを知り、「私」を知る唯一の術だと思う。

初めの時点で、私の思いをこの著者は、カタチにしてくれたんだと思ってしまった。ところが、他の章を読んでいくうちに、その期待は徐々に崩れていった。「十五本のなかにはとてつもなくゴージャスなものもあるが」の前置きにも気に食わない。目を通したところはどれもこれもゴージャスだし、どうやらマッキンゼーにも在籍していたことが分かれば、嫉妬すら湧き出てくる。ますますおもしろくない。

けどやっぱ良いこと言ってくれてるかも

日本人より外国人、同世代より年の離れた世代、同性より異性、同じ業界の人より違う業界の人…。自分からもっとも遠い人と円滑にコミュニケーションを進めていくことは、視野を広げるうえでとても大切だ。

大前研一 / 旅の極意、人生の極意

この言葉に、道標を示されたような心地がした。私の望む旅のスタイルは、確かに海外に限ったことではない。国内でも同じことが可能だ。もっと言えば、生まれ育った地元の別の地区ですら楽しめるんじゃないかとさえ思っている。

私は二十代の半ばに、縁もゆかりもない沖縄で1年を過ごした経験がある。たった一つ、クライミングだけを頼りに、たくさんの仲間たちに巡り合わせてもらった。また、彼らと共に過ごすことで、彼らと交流する中で、歴史的・地理的な文化の相違点を肌で感じつつ、その中に宿る同じ日本人としての「共通点」にも気づかされた。沖縄に出来た繋がりは、間違いなく私にとって宝石であると言える。

ただ、言っても同じ日本人。比率で言えば明らかに共通点の方が多い。外国に目を向ければ、差異ばかり。差異に次ぐ差異。まさに雲泥の差だ。アジア圏ですら私の知る世界とは全く違うし、ヨーロッパともなると私の常識はてんで通用しない。きっとアフリカや南米に至っては、今まで体験したことのないような衝撃が待っているに違いない。眩いなぁ。だからこそ、私はこれからも海外へ赴き、その違いに触れ続けたいのだ。

もっと違う世界へ。ここじゃないどこかへ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?