カンフ〜ブンカ

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走って減った靴底で背が縮んだ

ちいさい頃から通っていた文房具屋さんが閉店しているのをみてきた。 たしか先月末で閉店したんだっけな、と、はんぶん知りながらみにいった。 われながら卑怯だなとも思った。 すすけたクリーム色のシャッターの隙間からからっぽの店のなかをみた。 なかばあきれながら、その戻らなさ、すこし前までならあるいは、と思わされる、隔絶ではないへだたりの具合がたきつける戻らなさが胸のうちでくり返してやまず、からっぽな気分になった。 代わりにはがきを、そばにある100円ショップで買ってから、友達との待

    • ない根に再帰

      たまたまラジオをつけていたら吉永小百合さんの番組がやっていて、シンプルにすばらしいとおもった。 やわらかで丁寧な言葉づかい、品のあるユーモア、お話と音楽のてきどなバランス、吉永小百合さん自身のJRのCM、過剰なものがいっさいなく、均整のとりもどされる感覚。 これを毎週きけたらそれはとてもよいだろうと思った。 今週の音楽のテーマは「もの売りのうた」で、「ジャワの焼鳥屋」、とか「ミネソタの卵売り」、とか「長崎のざぼん売り」、とか、ひそやかなたのしさがあり、 「陽気なボンボン売り」

      • コズミックスペース

        家は出遅れるし快速には乗れないしで相当どうしようもないが雨は小雨で、ならまあまだいいかと思う、というか思うようにする。 この、思うようにする、という自覚、観念がおそらく大事で、と自分をはげまし、心から思えていることというのはあんまりなくて、なんとなく、とか、どうも、とか、どうにも、みたいに、なんというか懸隔、たんてきに達成までの遅延がある。 なにごとかをなそうと思ってなすときの、思ってからなすまでの間には限りない遅れがはさみ込まれる。 限りない、としたのは、もちろん思考ののち

        • 明暗の感得

          休みの日はとりあえず外に出てみるといい、うちにいてもろもろ済ませたりのんびりするのは以前よりうまくなったなと思うけれども、それでもやっぱりそわそわする日は外に出てみるといい。 外に出てみると自分がけっきょくあらゆるほかのものやひととの分別でなりたつ、相対である、相対のテイであることを確認できて、ひとここちつける。 そうなると室内のそわそわはみずからが絶対であるかのように存在の密度を増してくることに由来するのかと考えるのも、相対、対比という既存の強度ある構造に頼ってしまうことに

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        走って減った靴底で背が縮んだ

          Take care of that throat,

          いきをふきかえすためのことばをお守りのようにいくつか持っておくと便利である。 ことばとは抽象である概念であるというかたりにつきあたることもしばしばあるが、ことばとはまずもってものである具体であるというのはいちどことばをつぶやいてみれば実感されるはずである。 それまで胸のうち腹のうちでうずまいていたあいまいに吹き流しのようなさまざまが口もとで形をむすび、やがて切実な具体として質感をあたえられ光を反射してゆくのに、あわせていまここにあるわたしの存在の実感が、ここという場所の場所性

          Take care of that throat,

          そらんじる

          パワープッシュということばにあこがれがある。 プッシュ、というだけでも蒸気機関の駆動めいたスチームの気配、パワーの輪転、推進の意を感じるように思うのに、さらにパワー、が強調されているところに、プッシュ側になじめず、いつまでもプル側にいるようなわたしは、それゆえになおさら、パワープッシュ、のことばにあこがれ、ひかれるここちがある。 プッシュならともかく、パワープッシュとなると押されるがわもひと苦労、むやみな重荷にさいなまれることもありそうに思うが、それでも一見かろやかに思われる

          真夜中の5秒前

          およそ年という単位でみずからが変わってゆくわけでもないのに、年末となればむやみに総括をしてみたくなる、全体性のつみぶかさに、わかりつつ収束のある安心を、しかし求めたくなるのは、収束は終息であり、ひとたび息する暇ができる、と、いまこのスマートフォンで入力している誤変換を見て考える、なので結局、本気で考えているわけではないのだが、あたかも本気で、つねから考えているかのようにふるまう、ことがもしかして万力で、だれかを締めつけてしまうのかもしれず、しかしそれは果たしてきっとつけあがり

          浅瀬の友人

          年の瀬、の瀬、が、川、であることはなんとなく知っていたけれども、時間を流れになぞらえる謂いは一般なのではと思い、調べてみれば瀬とはとくに浅く流れの速いところを指すと知り、しかし年の末のころの時間といえば、深く夜も底をついたころの、真空の時間が空間ととけあったように漠として、いつまでもつめたくある、そのイメージが私をとりまいていて、だから昼間の師走というのにはうなずけるけれども、その対比に極としてある深夜のことを思えば、年の瀬、にはややうなずきがたく、けっして私の首のひと振りが

          16和音のナイアガラ

          酒を飲んでうっかりそのまま寝たのですっかり冷えきった身体をちいさな震えが感覚とおく断続する朝、外に出てみると太陽が芝生を白く発光させて、しかし空気は漠として乾き、澄んでよく光を通すので、白い発光の印象だけがつよく、まわりの木々や遊ぶひとびと、高層の建物、その他事物の展開は薄膜を通したようにおぼろで、遠くある。やがて「揃っている」というあいまいにつかめない感覚がわたしの腹の底にじりじりと滲み出してきて、わたしのうちに「存在の幸福」という手ごたえが沸く。ちかくでざふざふ、と音がし

          16和音のナイアガラ

          スーパーナード

          ひさびさにひとりで土日を過ごす結果となって、先週やや荷をおろしたせいか、ふだんは気の進まないあれやこれやもするりと手について、迫られのない適度な緊張のなか、寒く、しかし出かけて、LADY FLASHのライブをみた。 さいこうにたのしかった。 圧倒的なパワー。 推力、というにもややちがう、目的のない、走りそのもののような力、突き動かし、パワー、にわたしはたのしくなるので、今日はその点さいこうだった。 また何回でもライブに行きたい、と思った。 せんじつ、洋梨が安かったので洋梨を

          スーパーナード

          光ファイバーつた

          今日は西千葉古本市に参加させていただきました。 古本屋さんとしてふるまうときには、出発間際という屋号で、出発間際という気持ちで、臨んでいるのですが、今日はなんというかそれがまちがっていなかった、まちがいが悪というのではなく、なんというか手ごたえとして出発間際、ということを感じました。 2度目の出店にして、手ごたえとめぐりあえたことは、むずかしいことばをつかうなら僥倖、つかわなくていいならよかった、という気持ちです。 それから、『風に立つ愛子さん』という映画の上映会にも参加させ

          光ファイバーつた

          滝もつぶやけ十三夜

          おいこみの時期ですね。 しかしおいこみはすぎず。 本やらCDやらがおいこまれの姿勢に応じてかよびこまれつづけている感じがしているこの1週間とか2週間あまり。 この中動のたのしみがとてもたのしく、過程のうちでただ背骨だけになって、つたって下りるよろこびの駆け抜けに、ふるえる、うちなるふるえ、うちなるよろこび。

          滝もつぶやけ十三夜

          さっきまでの熱気はないけど

          きょうは気持ちのよい秋の日でした。 太陽のしたで4時間あまり、すずしい風に吹かれながらぼんやりビルの屋上で古本を売る時間はとてもたのしかったです。 また来月もできると思うととてもたのしみです。 古本市のあとは総武線で友達の家に行き、冷凍ピザとスーパーの惣菜を食べながら酒を飲み、さまざまな話をしてから「ぼっち・ざ・ろっく」というアニメのことを教えてもらい、みました。 そのあとは昔のNHKの番組やアニメのオープニング曲を記憶にまかせて調べまくるという時間をまた過ごしました。 いつ

          さっきまでの熱気はないけど

          いびつ

          石炭をばはや積み果てつ、というような気分だ、午前中なにやらもぞもぞとしかしていなかった土曜は。真夜中2時にあるいた地元の道は、過去の習慣のためにちかごろの空白、無知を知った感じ、に溶けこませて、まるでなにひとつ変わっていないかのようにその存在感を無みする脳みその表層をかすめていくばかりだったけれど、しかしそのときの秋の風やにおい、ややかたむいた明かりといった一回性をかき分けてすすむ肉体が、みずからと認識とのずれにはやり、焦って汗に濡れていく、ややのこるアルコールと汗のぬくみと

          一千の枝葉

          一箱古本市に出店させていただくことになりました。 なんとなく準備していたことが浮かび上がってきてわくわくする、そんな感じです。 なんとなく準備していた結果、千葉に行きます。 季節が秋になってきた実感もあり最高なんじゃないですか、と誰かに語りかけるみたいな口調になってしまいますね。 10/29(日)11:00〜15:00 本八幡屋上古本市 11/19(日)11:00〜15:00 西千葉一箱古本市 詳細は以下を見ていただけるとわかりやすい気がします。

          絶対の息の吹き返し

          サタデーナイトカラオケのライブに行った。 インドネシアのバンドで、なんらかのきっかけでCDを買ったときからずっときいていて、こんかい日本に来るとなって、絶対にききにいきたいと思った。 自分のなかに「絶対」というものがまだ息づいていたのかと、生きのびていたのかとおどろいた。 対バンもそれぞれ最高だったけれど、サタデーナイトカラオケがやっぱり最高だった。 どうして最高だったかというと、とにかくたのしかったからだ。 さいきん、「おもしろい」と「たのしい」はあいまいながらちがうもので

          絶対の息の吹き返し