ヨーロッパ文化教養講座(「フランス王朝史」カペー朝 佐藤賢一著)

2022/11/22
以前、佐藤賢一著の直木賞受賞作「王妃の離婚」について書いたが、そのとき感じたことは、作品の時代の歴史の知識があればあるほど、作品を楽しめるということである。

そこで、読み始めている「傭兵ピエール」の時代を理解を深めるために、佐藤賢一氏のフランス王朝史 三部作を平行して読むことにした。

フランス王朝史1は、カペー朝の話である。

カロリング朝の直系が途絶えた後、有力諸侯であった、ユーグ・カペー(987-996)が政権を奪取してカペー朝が始まる。
さぞかし、織田信長のような英雄的な人かと思いきや、フランク王を名乗ることは、収入は、自分の領地だけからなのに、出費はフランク王として、外敵(隣国とは陸続きなので出入り自由)からの防衛戦にかり出されて、普通の封建領主より遙かにかかって、ディメリットも相当あったので、おだてられたということらしい。

ただし、カペー朝の強いところは、健康やこども(男子)に恵まれたということで、

1.ユーグ・カペー(987-996) のあと、
2.ロベール2世(996-1031) ユーグ・カペーの息子
3.アンリ1世(1031-1060)  ロベール2世の息子
4.フィリップ1世(1060-1108) アンリ1世の息子
5.ルイ6世 肥満王(1108-1137) フィリップ1世の息子
6.ルイ7世 若王(1137-1180) ルイ6世の息子
7.フィリップ2世 尊厳王(1180-1223) ルイ7世の息子
8.ルイ8世 獅子王(1223-1226)フィリップ2世の息子
9.ルイ9世 聖王(1226-1270)ルイ8世の息子
10.フィリップ3世 勇敢王(1270-1285)ルイ9世の息子
11.フィリップ4世 美男王(1285-1314) フィリップ3世の息子
12.ルイ10世 喧嘩王(1314-1316) フィリップ4世の息子
13.ジャン1世 1316 ルイ10世の息子

なんと、300年以上直系男子が続いた。

幼児の死亡率も高く、50歳まで生きれば長生きという時代に、これだけ続いたのは、驚異的なことだそうだ。
各王の能力や人間力は、当然バラバラだが、ただ、必ず、男子を残し後を継がせるという点は徹底されていたようだ。

ジャン1世は、幼児だったが、即位後すぐに死んでしまって、
ルイ10世は、他に娘はいたが、息子はいなかった。
そこで、ルイ10世の弟
14.フィリップ5世 長身王(1316-1322)
が後を継ぐ。ところが、フィリップ5世も、娘ばかりのため、その死後は、
ルイ10世の末弟
15.シャルル4世(1322-1328)
が後を継ぐのだが、このシャルル4世も後継がおらずに、

12.ルイ10世、13.フィリップ5世、14.シャルル4世の父、11.フィリップ4世の弟ヴァロア伯シャルルの子、
フィリップ6世 幸運王が後を継いで、ここで、ヴァロア朝が始まる。

#徳川幕府の将軍も直系男子だけでなかったので、カペー朝からヴァロア朝への移行はどちらもユーグ・カペーの子孫だということから、マイナーな政権交代だということがわかった。

この継承に関しては、イングランド王がいちゃもんを付けた。
というのは、イングランド王エドワード3世は、
11.フィリップ4世の娘の子だから、こちらにも継承権があると主張したからだ。

これがきっかけとなって、いわゆる100年戦争が起ったということらしい。


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