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これも私の見る『現実』のひとつ

藤井直敬氏の『現実とは』考察シリーズ。3月22日は僧侶である松本招圭氏との対談形式で、『死』や『マインドフルネス』そして『日日是好日』についての話題が興味深かった。以下は聞きながらnoteしたもので、途中でネットが切断されるなどの事故があって、不完全ながらメモしてみた。

現実とは一体どのように定義すればいいのだろうか。ひとつには、すべての人がそれぞれ違う現実を見ている。それは正解や不正解のない世界だ。
そして自分の現実を定義しないと他の人の現実が見えない。

引用:『現実とは』考察シリーズ
引用:『現実とは』考察シリーズ


僧侶である松本招圭氏が今回のゲスト。仏教思想の観点から現実をどう見るか、というのが今回の主題だ。

松本氏は言う。現実を拡張していくと時間軸と空間軸がある。見えるもの・見えないもの、という分け方もできる。見て触れるものとそうでないもの、という見方もある。仏陀は、「私自身の現実を拡げること」について説いている。

道徳実現

「私」という感覚から「私たち」という感覚への移行していく過程を「道徳次元」と呼んでいる。「私たち」は地域であったり、会社などのグループであったり、国や宗教であったりする。この世界で一緒に暮らしていくために、寛容性、多様性に関連する考え方は切り離せない。

引用:『現実とは』考察シリーズ

松本招圭氏が翻訳された "The Good Ancester" は、
長期思考を養う本ということができる。長期思考とは長い時間軸のことを指す。 

地球上に80億人が現在生存している。ここにいる私たちの舵取り次第で次の世代の環境が決まってくる。そして、過去に生きた人たちが、「祖先」としてどんな人として捉えられているか。普段は想いを馳せないであろうこれらのことに心を向けて見る機会を与えてくれる。


引用:『現実とは』考察シリーズ


引用:『現実とは』考察シリーズ



『私』の範囲をどのように拡張していくのか。それには先ほどの道徳次元を広げていくこともあれば、カルマを作り替えていくことでもある。人は、経験やカルマを蓄積していく中で、心の癖を積んでいく。これらは作り替えることができるという観点が興味深い。

「道徳次元」に関連して思ったのは「コンパッションの瞑想」だ。。まず自分の平穏を祈り、次に家族の平穏を願い、街全体、国全体、地球全体、宇宙全体へとその平穏の祈りを拡張していくというものだけれど、そのような時空を拡げていく祈りを経験することで、生きとし生けるものへ想いを馳せるというプラクティスがある。

そこでも現実は拡張されていく可能性を秘めている。

この放送では毎回、ゲストに対して『あなたにとって現実とは』と問う。
ちょっと禅問答みたいで面白い。眠っているときに見る夢も、これは夢だと気付きながらみる夢がある。実際に生きている時も、これに似た感覚で、「これも私の見る『現実』のひとつ」というような捉え方もできるかもしれない。理性で捉える現実との「行ったり、来たり」する現実の捉え方は重要なのかもしれない。

最後に、人生においてゴールは『死』と決まっている。そんな松本僧侶の言葉が心に残った。そのゴールまでのプロセスである人生をどう生きるのか。

生まれてしまったからには、生物はすべて、必ず死んでいく人生をいきている。それを『現実とは」という光にかざして見て見ること。このシリーズは本当に興味深い。詳しくは藤井直敬氏のXアカウント @NaotakaFujii で




https://note.com/sckooncup/n/n2298854e7862


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