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マイプロの場づくりの価値観(2) 伴走者もすべからくマイプロの実践者である

こちらの記事は、以下のnote記事の続き(当該部分の詳細)となっております。

マイプロの場は誰ひとり評価者や傍観者はいない。

マイプロの場で重要な事は、場に参加する全ての人が「例外なく」マイプロジェクトの実践者であるということです。

筆者は、企業や自治体などからマイプロの場作りを依頼されることがありますが、その際に、必ず先方の責任者あるいは担当者の方に対して、「自らもマイプロの場に参加し、一般参加者と同様に実践を行うよう」お願いしています。そしてその際には、主催者・担当者としての立場から離れた「1個人の人間」として、他の一般参加者と同じ立場や気持ちで、マイプロに取り組むようにお願いしています。取り組むプロジェクトのテーマも業務や立場に関係なく、その人が一人の人間としてほんとうに取り組みたいと思っているテーマを取り組んでいただきます。

また、マイプロの場づくり手法を勉強したいという理由で、オブザーバーとして見学をしたいといったリクエストをいただくこともあります。その場合も、1人の人間としてマイプロに参加し、取り組むことを条件としています。したがって、単なる見学という立場の人間が場に存在することを、原則として認めていません。

実際にマイプロのプログラムに参加された方はわかると思いますが、マイプロの場でやりとりされる内容は、とてもセンシティブなものです。その場で発生するダイアログにおける参加者のスタンス・真剣さなどは、傍観者の存在を許さないような、とてもエネルギーの高いものです。したがって、過去には例外的に傍観者の立場で参加したことがある方からは、「本当にこの場に居て、のぞき見をしても良かったのか」というある種の居心地の悪さを感じたというコメントも頂きました。その居心地の悪さは、他の方と同じように参加していない事による引け目や、自分も能動的に参加したいという気持ちによるものでしょう。

マイプロの場では、傍観者の存在、ましてや参加者や場を評価するような人間がいると、ダイアログの質が低下することになります。

伴走者もすべからくマイプロの実践者である

私たちが主にやっている社会人同士のマイプロの場でありますと、評価者という存在(や、あるいは先輩という存在)は構造的にあまり登場しないことが多いです。ただし、やはりそこには、年齢といった「人生の先輩」という概念や、社会人経験量の差(「社会人経験」という言葉って何なんでしょうね。なって英訳するのでしょう?笑)といった規範的な概念からくる、一種のヒエラルキーは生まれがちです。
ましてや、大学生や高校生といった、いわゆる教育現場で行うマイプロの場では、上級生、あるいは大人(社会人)というような年上の存在、さらにいうならば成績をつける権限を持っている教員といった評価者が存在しえます。

評価者の存在は、参加者に対して、この場における言動に何か正解や不正解があるのではないかというような振る舞いを引き起こしがちです。場に影響与えます。また、そこまでゆかなくても、先輩的立場の方が経験をもとに接してしまうと、悪影響を生むことがあります。例えば、先輩の意見を鵜呑みにしてしまい、自分で考えたり決断することを避ける、という影響が生まれることがあります。本人の気づきや学びの可能性・ペースを無視して、先輩の価値観や経験からいえるものを、(先輩が望んでいなくとも、無自覚に)結論のように、近道のように、教え込んでしまうようなこともあり得るでしょう。

しかしながら、上級生や社会人も、みずからマイプロの実践を継続している人間であれば、みな終わりのない実践を共に行う仲間であり、フラットな関係に近づくことが出来ます。もし、マイプロの「先輩」としての「尊敬される」が要素は何かと問われれば、それは経験の量や知識の量では無いことは確かです。強いて一つ挙げるなら、同じ期間・同じ機会の間に、より多く、自身の気づきを得たり、より多く転び・学び、それを仲間にシェアしたもの多いかどうかかもしれません。(しかしながら、それも一例。たった一つの軸はないのです。そもそも定量的に測れないし。実践を行っていない(自分の人生を生きていない)人間の言葉は、実践者にはすぐに分かります(見破ることが出来ます)から、実践を行っていない伴走者が尊敬されたり、話を聞いてもらえることはほとんどないでしょう。

ファシリテータの配置の工夫

ファシリテーターは、前述した「評価」という名の場へのバイアスが生まれないように場をホールドすることが大切です。ファシリテーター役が、教員のような強い権限をもつ評価者の役を兼ねる場合は、そのことが非常に困難になります。したがって、評価権の持っていない他の人間をファシリテータとして立てるか、評価権のない人間と共に二人以上でファシリテーションを行うなどの工夫が必須です。例えば、過去のマイプロの経験者(卒業生など)に依頼するといった手があるでしょう。

ときに生じる「引き込み効果」

また、評価をなるだけできるだけ排除した素晴らしいマイプロの場が生まれている時、面白いことが起きることがあります。
素晴らしい場において、傍観者や評価者を実践者にとして引き込んでしまう場面に出くわしたことがあります。
前述したような傍観者や評価者(時に、勘違いして、後進に「何か導きを与えてあげよう」といった一種の上から目線のマインドで参加している人も居ます。)が、マイプロの場によって変化してゆくのです。ふんぞり返って(そこまでではないにしろ)上から目線で参加した人間が、かえって恥ずかしくなるようなことが起きます。「参加者の人たちはこんなに真剣に自分自身のことに向き合っている・そして真剣にチャレンジをしようとしている。しかし自分はどうなんだ?同じように真剣に今起きているだろうか?自分の人生を生きているだろうか?チャレンジをしているだろうか?」といったようなことを自問自答し始めたら、彼らが実践者になるまで多くの時間を必要としません。

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この記事はnoteサークル「マイプロ・ファシリテーター道場」のみなさんの貢献によって作成されました。以下のみなさん(noteユーザ名。敬称略)に感謝の意を表します。

Special Thanks to...
Yoshiki Namba 難波ファシリテーション事務所代表, 高知マイプロジェクト道場第一期ファシリテータ
かず 中小機構TIP*S マイプロジェクト道場 第17期修了生
しらさん 名古屋マイプロ第1期第2期修了生
tuka(塚原 昌代)中小機構TIP*S マイプロジェクト道場 第2期修了生・サポーター, ビジネス・ブレークスルー大学LA
OKB マイプロタウンしまね, ビジネス・ブレークスルー大学LA

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