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「叱るでもなく、褒めるでもなく、ただいる。」は許されるのか?

皆さん、こんにちは。S.C.P. Japanの井上です。いつもコラムを読んでくださりありがとうございます。今回もとっ散らかった内容ですが、楽しんでいただけると嬉しいです。

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承認欲求というのは小さな子どもから大人まで、ある程度誰にでも備わっているものだと思う。ましてや、この成長主義の評価社会では尚更その欲求は培われやすいのでは、とも。

一般に、子どもが「認められた」と感じる瞬間はどんなときだろうか?褒められた時がそれにあたるのだろうか?

そういえば、『良い先生』というのは褒め方が上手と聞くことがある。
叱るのではなく、褒めて気づかせる、褒めて誘導する、など褒め力は良い学校の先生となるために大事なキーワードらしい。褒め方講座などといわれる講座もよく見かける。

多くの先生が良い先生になりたい、と思う気持ちを持ち、その中で褒め力を高め、良い先生となるために(良い授業をするために)、子どもを褒める。
褒められた子は認められたと喜び、その褒められた経験をもとにその子の中で、良い・悪いの基準が形成される。そうやって培われた基準で自分や他人を評価するようになる。

回りくどい言い方でここまでグダグダきたが、最近読んでいた本で以下のような私にとって非常に印象に残る事柄が出てきたので紹介したい。

その本はフリースクール等での事例本なのだが、その中で紹介されているあるフリースクールでは次のような考えに基づき、実践が行われている。

・スタッフは子どもとの対等な人間関係を築くことを徹底しており、信頼関係はその延長にあると考える

・対等な人間関係を築くために、スタッフは「子どもを評価しない」ということを徹底する

・評価には「叱る」「褒める」も当てはまる。「叱る」「褒める」の評価をした場合、評価される人と縦の関係が出来てしまう

・他者からの評価は「他者からの期待・願望」にもつながり、他者からの「評価」を前提に本当に「自己決定」ができるか?

・不登校に関係なく、今の日本の子どもたちは他者の評価をとても気にしている。
(フリースクール等における在宅支援も含めた個別支援の実践事例集より)

私は、「叱る」「褒める」も場合によっては「評価」であるということにハッとさせられた。そして頭では理解できても、実践の難しさを瞬時に感じた。「叱る」はともかく、「褒める」こともしない・・・。

「え?ミスターポポ?!」(笑)
ミスターポポとはドラゴンボールに出てくるキャラクターで、「心を無にすること」を悟空に教えてくれる人だ。詳しく知りたい人はこちら(笑)

子どもの教育に関わる大人であれば、ほとんどの人が「褒めない」の難しさをすぐさま感じることができるだろう。
叱るも褒めるもしないって、もはや心を無にしないとできない。そして心を無にして「ただ、いる」だけの大人なんて果たして教育現場にいることができるのだろうか?

たしかに、褒めるという行為にはその人の良いと思うこと、悪いと思うこと、の価値観がのってくる。対等な立場で価値観だけがのってるなら良いが、大人と子ども、教師と生徒、上司と部下、などパワーバランスが対等でない場合の「褒める」には意図せずとも『評価』や『意図』がのってしまったり、のっているものと捉えられてしまう。

「〇〇さん、綺麗に座れてるね、素晴らしいね!」は、集団でいる場合明らかにみんなを〇〇さんのように綺麗に座らせたい、という意図がのっかっている。私もよく使ってしまう(笑)

「〇〇さんの意見は素晴らしいね」は、どのような基準で意見の良し悪しを判断するか、言ってる人の基準が意図せずとものっかっている。

そんなこんなで、良い事と疑わなかった「褒める」という行為が最近怖くなってきた。
「褒めない」ということが成り立つのか不安になった。

ただ、できる・できない、を抜きにして、私はこの「叱らない・褒めない・ただ、いる」という考え方が意外と気に入っている。

以前のコラムでも紹介をした大好きな本「居るのはつらいよ」(著:東畑開人さん)の最後に語られている部分と勝手に重なるのだ。
最後にその部分を紹介して終わりたい。

この本は、京大博士をもっている臨床心理士のご本人の実体験から作られた物語。博士課程を終了後、精神科クリニックのデイケアに勤めていた主人公は、やる気に溢れていて、利用者さん・患者さんに良いセラピーをしようと、はりきっていた。しかし日々そこにいる人々との生活を通じて、はじめは苦痛で仕方なかった「ただ、いる」ということを、少しずつできるようになった、という話。以下本より抜粋。

『「ただ、いる、だけ」。その価値を僕はうまく説明することができない。会計係を論理的に納得させるように語ることができない。医療経済学者のようなことは僕にはできない。僕はありふれた心理士で「ただ、いる、だけ」を公共のために擁護する力がない。・・・・(途中省略)・・・だけど、僕はその価値を知っている。「ただ、いる、だけ」の価値とそれを支えるケアの価値を知っている。』
“それは市場の内側でしか生き延びられないけど、でも本質的には外側にあるものだ。そういうものの価値は経済学の言葉では絶対に語れない”

(著者インタビューはこちら)

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