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森へ


私の体験した森

北海道苫小牧で行われた「大人のオータムンキャンプ」に参加させていただきました。
そのプログラムの中で森に行き今の自分を見つめるという時間がありました。
森のリトリートというものにずっと参加してみたかったので今回の体験がとても嬉しく、そして学び多き時間になりました。
この体験を残しておきたいと思ったのでここに書いていきたいと思います。

森の中の体験記

とても自然の多い苫小牧
タイワノイエから少し車で走り
道路の脇に車を停めて少し入っていくだけで
そこには森が広がっていました。

森の中の道は
人や動物が通ったあとにできていったもので
進んでいくととてもいい香りがしていきました。
葉っぱの匂い、土の匂い。

土もたくさんの葉っぱが折り重なっていて
サクッサクッと音を立てながら歩きます。
足からの感覚はふわふわした感覚。

そのまま少し人の通った後を進んでいきました。

進む右手には小さな川が流れていて
左手には森が広がっていました。

キャンプ主催のカズが一通り森の説明をしてくれた後に
ひとりの時間を作ってくれました。

「じっと佇んでゆっくりと森を感じてみてほしい」

参加者は3名ほどいました。
各々別れた後、自分のペースで森の中へ進んで行きました。

私はゆっくり進みとりあえずぐるりと周りを見渡しました。

「森に私は受け入れてもらえる?」
とはじめに少し不安になりました。

途中の木に触りその木が方向を示してくれる感じがして
じっと行き先を集中してみました

「もう少しすすむ」と感じたのでゆっくりと歩いていくと

右手に流れている川と今歩いている道の間に
2本の木があり、間に自分が座っている姿が浮かびました。
川側の木に寄りかかった自分の姿
その浮かぶ姿のままに自分の身を置いてみました

2本の木

2本の木の間
川側の木に寄りかかってみようとすると
細くて頼りなさそうに見えてた木は、思っていたよりもびくともせず
しっかりと根を張っていました。
でも木の周りには小さな虫や
蜘蛛の巣やなど怖くて気持ち悪く感じるものが見えました。
「怖いな。気持ち悪い。」
そう思いましたが、ちいさな座るマットを借りていたので広げて
思い切ってマットを広げて座り
信じて寄りかかってみました。
ざわざわする気持ちを遮断したかったので
上着のパーカーをかぶってなるべく視界をまず遮断
今の自分に集中してみました。
音を感じる
風を感じる
匂いを感じる
そうすると浮かんできた風景がありました。

「水」の循環

目を閉じると川の音と光を感じ
色々な場面が浮かんできました。
その場面は「水の循環」
まるで映画のシーンの断片のように
水の循環する場面が浮かんできました。

私は水になっていてキラキラした水面や
霞んだ森
葉っぱから滴り落ちる水
畑からの呼吸のような水蒸気
時には激しく豪雨や山などを破壊している場面

川の中で生命の産卵をみたり
滞って水が腐っていく場面もみました

色々な感情
楽しい・嬉しい・綺麗だけではなく
怒りや悲しみも感じていました

その中に私は確かに「いた」と感じて
最後はキラキラと森の場面で目を開きました

私は水として循環してきた
「水の記憶」
そんな感じがしました。

水として
自分の体も通って自然の中だけではなくて
人の体も通ってきた
そんな感じがしていました

目を開けぼーっとしていると
目の前には人が通った道があり
「普通」という言葉が浮かびました

普通ってなんだろう?

「普通」というのは
人がなんとなく歩いてきた道

そう。
なんとなく人が通った後
「道」となっただけのもので
目の前に見えているように色々な葉っぱが折り重なってそこを
ただ誰かが踏んだだけ
明確な決まりもなく人が踏んだ後がなんとなく
「道」と呼ばれるものになっていて
その奥にはずっと広がる森があるんだなと感じていました。
色々な要素が散りばめられているのだから
ほとんどの全てが「普通」に本来は含まれるものだなと感じました。

すると背中側に意識が向き始めて
後ろに流れている川は見えないけど
気配を感じるもの
「真実」
そんな言葉が浮かびました
見えないけれど確かに感じるもの
確かにあるもの
同じように全てが含まれているもの

この二つの感じる世界の真ん中に私は座っていて
自分の目に見えている世界に確かに見えなくても
存在するという確かなものを感じました

私は真ん中にいるんだなと感じました

見えている道の奥は森が広がっていて
なんとなく不安を感じるざわざわとしたものを感じるけれど
目に見えるもの
手に取れるもの
私が進んでいけば行ける場所
わからないものではないんだと感じました。

目の前の木

目の前の木はそんなに太くはないのですが
幹からは数本に分かれていました。

一番初めに目に入ったのは
ポッキリと折れていた枝でした。
ポッキリと折れた枝に自分を重ねて眺めていました。
途中から腐って何かの害的刺激によるものか折れていました。
木は全体的に色々なものが絡まっていて
ぐるぐると蔦のようなものが絡まったり苔が生えていたり
カビのような部分があったり
蜘蛛の巣や虫も見えました。

気がついたこと
痛々しげに見えていた枝からよく見ると
小さな芽が出ていました。

「折れてもちゃんと生命があるんだな」と感じました。

はじめに感じていた
木は色々なツタや他の木が寄りかかっていたり
蜘蛛の巣、小さな虫、苔などのことも
「私はこうやって全ての物事を受け入れてきたんだ」と
感じました。

でもそのことが全てお互いに複雑に絡み合って
生命が流れているんだと
水の循環を通して感じた感覚がでてきました

分かれた枝は太さがどれも違っていて
全ての事柄が無駄なことではないと強く感じました

この日々が
ゆっくりすぎるたびに
1年1年太くなっているんだなと感じました。

焦らずに自分のペースで
色々な物事を受け入れながら

折れても大丈夫
ちゃんとそこには命が流れている

目の前の木からたくさんのメッセージを受け取っていました。


そんなことをぼーっと感じていると
とても眠たくなってきました

しばらくすると
合図が聞こえ集合の時間になりました

集合しお互い感じたことを森の中で対話する時間をとってくれたので
お互いの体験をシェアし合いました

とても驚いたのは
この時間までにご飯を一緒に食べながらなど時間を過ごしていた時に
話していたことが森の中での体験が
それぞれ「答え」となるようなヒントを自分たちの口から
話していたことですwww

全てもう既に自分の中に答えはあって
それをただ出しているだけのように感じました。

私の中でもずっと感じてきたことを
森の中で自然の力を借りてただ出した

そんな感じがしていました

今の自分に必要な場所を自分で選び
そこに座り
全身で体感して
言葉にする

そしてそれをただ受け止めてもらう

とても贅沢な時間でした

主催してくれた
カズ、つよぽん
本当にありがとう。

頭ではわかっているつもりでも
全然こころが納得していない感じがいつもあった。

こうやってゆっくりと自分の心と一致させる時間が必要なんだね。

引き続きこのキャンプの体験をできる限り残したいなと思いますーーー!



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