ヒトの発話はどのように発達してきたのか――「人間と音の歴史」を考える

2024.1/19 TBSラジオ『荻上チキ・Session』OA

Screenless Media Lab.は、音声をコミュニケーションメディアとして捉え直すことを目的としています。今回は、人間と音の関係に関わる研究について紹介します。

◾母音と子音、遠くまで届くのはどちらか

私たち人間が扱う言語(言葉)の登場時期については様々な議論がありますが、私たちの音声発話は、基本的に母音と子音をかけあわせたものから構成されています。

2023年12月、イギリスの研究者たちがNature誌に掲載した論文があります。この論文の要旨を一言で言えば、人間の祖先の生活スタイルが木の上から地上生活に変化したことで、人間の発話は母音より子音が発達した、というものです。なぜそのようなことが言えるのでしょうか?そのためにはまず、論文の内容をみていきましょう。

論文によれば、まず中新世の中期から後期にあたる1600万年~530万年前、気候的な変化によって、ヒト科(私たちの先祖)は木の上(樹上)から地上生活にスタイルが変化したといいます。この時、ヒト科がどのような言語を用いていたかについては、発音に関わる組織(皮膚や筋肉)が化石に残っていないため、わかりません。

一方、木の上で生活する類人猿であり、地上生活前のヒト科と似ています。オランウータンは無声子音と有声母音のような鳴き声を有しており、特に子音に似た鳴き声を多くもち、母音とかけ合わせることでとても複雑な鳴き声を数多く有してます。

そこで研究者は、オランウータンの様々な声を平地のサバンナで再生・分析することで、地上に降りたヒトの祖先にどのような音声的変化が生じたかを探ろうとしました。(上述の論文の執筆者の一人であるレイス・エ・ラメイラ氏は、以前にもオランウータンの鳴き声を4000件以上収録・分析した論文を発表するなど、この分野に大きく貢献しています)

研究では、まずスマトラ種とボルネオ種オランウータン20個体から、487の鳴き声を収録します。それを「kiss-squeakキス・スクイーク(キスの摩擦音のような「t」、「p」、「k」等の音)」という無声子音に似た音と、「grumphグランプ(ぶーぶー鳴く)」という母音に似た音に分けます。

次に、平地のサバンナでそれぞれの鳴き声を25メートルおきに再生し、音がどの程度聞こえるかどうかを、スピーカーやマイクといった現代の音響技術を用いて調査しました(どちらの音も、ジャングルの中では100メートルまで音が聞こえることが確認されています)。通常、周波数の低い母音が遠くまで通ると考えられるのですが、結果は意外なものでした。

調査の結果、音が125メートル以上離れていくと、音は子音の方が聞き取りやすくなり、400メートル離れると、母音ベースの鳴き声は聞き取れたのが20%未満だったのに対して、子音ベースの鳴き声はなお80%程度聞き取ることができたのです。研究者によれば、オランウータンの鳴き声には、実際にはノイズのような様々な音が入り混じっており、理論で考えられるきれいな周波数ではないため、このような結果になったというのです。

さて、このことから何がわかるのでしょうか。子音と母音を利用するオランウータンの声が、平地では子音の方がより通るということ。それはつまり、私たちの祖先が平地に生活基盤を移行してから、子音の重要性に気づき、子音を多用するようになったのでは、ということです。

研究者によれば、例えば人間の乳児は1歳を過ぎると、単語を識別するために母音よりも子音に頼るようになること等、現代において私たちの発音は、子音が非常に重要になっているといいます。したがって、ヒト科の音声コミュニケーションにおいて子音が発達した背景には、環境変化によって広大な平原に居住地を移動したのではないか、と指摘するのです。

もちろん、この論文だけではこうした主張を完全に支持するまでには至らないかもしれません。とはいえ、私たちの音、私たちの声がどのような歴史を辿って今のような発話体系になったのかについては、人類史や類人猿との比較、あるいは環境や文化など、様々な視点から検討していく必要があるでしょう。私たちと音の関係の探求は、まだまだはじまったばかりなのかもしれません。

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