見出し画像

停電が生んだ出会い

何年か前の晩夏、私は花巻に居りました。
かねてより湯治宿に憧れがあったのと、宮沢賢治の聖地巡りをしたい思いが、私を岩手の地へ運んだのです。

宿に着いて夕刻、宿の食堂で一杯やっていると急に辺りが暗くなりました。
周りを見ると、薄暮でぼんやりした障子の向こうに誰かが慌ただしく歩くのがみえます。

「停電です。申し訳ありませんが復旧までお待ちください」
懐中電灯を持った番頭さんがこう言ってまわっていました。

まあこれも旅の一興、帰京後に話のネタになろうと思いつつも困ったことがひとつ。
酒の肴が来ない。

これだけで復旧を待つのは…

停電でコンロが使えなくなったので、酒は出せるものの食事の供給がストップ、先程頼んだ揚げ物たちは厨房で待ちぼうけを喰らっていました。

時間潰しにちびちび酒を飲み進めるもなかなか電気は復旧しません。

酒との持久戦のさなか、ふいに後ろの席から声をかけられました。

「あなた、よかったらこっちで一緒に飲みましょうよ」

振り返ると初老のご夫婦が。

「私たちの料理はもうきてるから、こんな時だし是非ご一緒に」
「ありがとうございます!」

拾う神、救世主とはこのことです。
暗い食堂の中でふたりからは後光が差しているように感じました。

「私たちはH市から来てるの。ここ何日かは三陸をぐるっと回って今日も釜石から」
「老後は海の近くに住みたくてね。昔は神奈川に住んでたんだけど」
「神奈川のどちらだったんですか?」

ふと、予感めいたものがあったので聞いてみた。

「神奈川のK市ですよ」
「K市のどちらで?」
「S町だけど」
「S町!今私が働いてるとこです!」
「まあ!」

予感が的中。思わぬ接点を見つけた私たちは更に盛り上がりました。

次々運ばれてくるお酒。
尽きない話。
電気が復旧しても楽しい時間は続きました。

「この人がこんなに飲むなんて久しぶりよ」と奥さん。
嬉しいことを言ってくださる。

どのくらい飲んでのでしょう。
おじいさんと私がダウンする寸前で宴に終止符が打たれました。

「ごちそうさまでした!ありがとうございます!」とお礼を言ってルンルンで私は部屋に戻ったのでした。

翌朝、番頭さんに「昨日はすみませんでした。これに懲りずにまた来てください」
と言われましたが、こんな温かい思い出ができるのなら何度でも停電してほしいと思う私でした。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?