忘れ物&無くし物大魔王の私が大掃除で取り戻した大事なもの

 三年ほどお世話になったカウンセラーさんがいた。その人は今までのどんなカウンセラーさんとも違って、妙な感情移入も、過剰に慰めるみたいな言い方も、こちらを善意のアドバイスという名の押し付けでダメ出ししたりもしないで、ただ、あったことを聴いて、反芻してくれるだけ、という感じだった。私はそのスタイルが本当に有り難くて、お陰で三年も同じ病院に通うことができたのだった。それまでの私は事あるごとにカウンセラーさんが嫌になって、通院自体も辞めてしまう人間だった。先生のお陰で、私は通院を続けられて、たまたま主治医とも相性が悪くはなくて、「虐待の後遺症」と「発達障害のグレーゾーン」という診断を受けることができた。薬は当初、抗鬱剤とか漢方とか睡眠導入剤とかだけだったけど、「コンサータ」を飲み始める相談もとてもスムーズだった。今の私の生活があるのも、つまりは根本の理由に先生がいると思っている。
 そんな先生が二年ほど前に病院の勤務期間が終了して、転勤になると告げられた。私はとてもショックを受けて、呆然として、通院自体やめてしまうことも考えたほどだった。
 最後のカウンセリングの時間に、先生がメモをくれて、そこにはメールアドレスが書いてあったのだった。人の名前を覚えられない私が、どうにか先生の名字だけは頑張って覚えたけれど、下の名前は全く知らなくて、三年も会っていたのに、その時になって初めて、素敵な名前だということを知ったのだった。
 「もし何かあればここにメールしてください」と先生は笑ってくれた。「三年もお話をしたので、このままお別れするのは何だか名残惜しくて」みたいなことも言ってくれた気がしてるけれど、これは私の脳の勝手な補完かもしれない。でもそのようなプラスの言葉をもらったのは確かで、私は本当に嬉しくて、このメモを生涯大事にしておこうと誓ったのだった。

 三月で退所された先生にすぐにメールを送って、しばらくやりとりを続けた。頻度的には多くはない。私は忘れっぽく、先生はお忙しい。双方の都合のいい時に、という前提で緩やかな交流が続いて、数ヶ月が経った。
 ある日私は、あまりの忙しさに先生とのやりとりの存在自体を忘れていたことに気が付いて、慌ててメールフォルダを漁った。が、何も出てこない。自分の送信履歴も先生からの受信履歴も、更には連絡先の一覧にもメールアドレスの登録すらなく、私はさーっと血の気が引いていくのを感じていた。
 あのメモはどこかにあるはずだ、と探したものの、何故だか全く見つからず、私は情けなくベソかきながら、真っ暗な部屋で膝を抱えて絶望した。なんて奴なんだ、あんなに無くさないと思っていたメモも見つけられない、メールの返信も忘れてしまう、アドレスの登録すらしていない、なんて杜撰なんだ、と一層自分のことが嫌いになった気がした。
 それが、2020年の夏のことだった。

 先週、年末の大掃除をした。放置していた籠の中身の整理整頓にも着手して、必要なもの、不必要なものに分類してそれぞれの対処に明け暮れていた途中、そういえばこの辺にあのメモはあったはずなんだよな、と思い出し、あの時見つけられなかったけどもう一度だけ探してみよう、と思い立った。何重にもなっていた不必要な切れ端の中に、あの先生のアドレスのメモは、あった。
 あった。
 そう思った時にはもう叫んでいて、子供達は大層驚いていた。
「なに!?」「何があったの!?」「どうしたの!?」
 全員が口々に尋ねてきて、私は面倒臭いことになったなぁ、と大声を出したことを後悔しつつ、ずっと探していた大事なメモが見つかったんだよ、と話した。彼等は途端に、なーんだ、びっくりしたー、と緊張を緩めつつ、それでも心からだと分かる温かな「おめでとう」「よかったね」の言葉をかけてくれたのだった。私はそれだけで、随分満たされた気持ちになってしまって、自分がとても安くなったことに安堵しつつ、そっと失望した。
 その日のうちにメールを作成した。今度こそメールを見失わずに済むように、新しいアドレスを取得して。返事は数日後にきた。ずっと気にかけていてくれたことが書かれていて、短いながらも先生の人柄を感じるには十分だった。もう一度、お話のできる有り難みをしみじみ感じながら、また忙しさの中でその大事な対話の存在を忘れないうちに返信したいな、と思いながら、何て返そうかと悩んでいるうちに忘れてしまうんだよなぁ、を思い出しながら、今日もそっとメールの返信画面を閉じてしまうのだった。

 だめじゃん!! ……なるべく早く返信します。

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