創作活動、向いてないなぁ。

 最近、思う。

 文章を書くことも、物語を紡ぐことも、向いてないなぁ。

 文章を読むことが好きだ。文章を書くことも、好きだ。
 でも、好きだけじゃやっていけないと思うようになった。体力気力妄想力、そして何より、継続力が圧倒的にない。何が何でも続けてやるっていう気概。
 私に欠けているもののひとつ、熱。
 人生も多分そう。私は松岡修造さんみたいにはなれない。ならなくていい、と言われそうだけど、私はあれくらい燃えている人になりたかった。自分を燃やして周りを燃やせるくらい、……天候を変えられるくらい(笑)。
 でもそうなれないし、多分なろうとはしないだろう。何せ燃やすものがないのだから。燃料がないのに幾ら火を点けても無駄だし、なら燃料を用意しろよってことだけど、いやいや待ってくださいよ、心の燃料ってどこにあるんですか?

 文章を書く時、不思議な熱に浮かされている感覚に陥る。風邪を引いていて、熱のままに意味の分からない夢を見ている時のような感覚。体が現実に存在していなくて、ふわふわと心だけで漂っているような。あれはきっと、物語の中を泳いでいるということなのだろう。あの感覚に溺れている間は、私は「私」であることを辞められる。

 さて、ここからしばらく書いたところで、下書きを押す前にアプリを誤って閉じてしまったので書いたものが消えた。あああああああ。こういううっかりミスをすることも多分向いてないことの一つなんだよ!!
 ……少し取り乱しました。思い出せることだけもう一度書こうか。エッセイもどきを書いている時って、結構上記のような熱に浮かされている状態が多い。アルコールに酔っているのに似ている。
 つまりは詳細は覚えてない、ということだ。

 物語を紡ぐ前に設定というものを事細かに考える癖がある。きっと必要なことなのだけど、どうも私はそれをすることによって満足してしまうようだ。語り尽くされたあれやこれやを再度読めるものとして組み立てる時、既に色褪せてしまっていて、すっかり興味は失われている。そもそも、現実こそ辻褄なんて合わないものなのだ。予定調和なんて存在しない。いつだって理不尽で、いつだって暴力的で、突然の雷雨のような激しさで翻弄して、疲弊と落胆に塗れている。少しも美しくない。
 でも、多分だけど、私が書き記したいのは、「そういうこと」なのだろう。足掻き続ける美しい魂を、何度踏み付けられても立ち上がる不屈の魂を、泣きながら笑う強さに満ちた弱い魂を。そして、それはきっと、私の夢で、理想で、なれなかった何か、で。
 ああ。凄くエゴイスティック。なんてナルシスト。きもちわるい。でも嫌いじゃない。

 そして、やっぱり思う。向いてないなぁ、と。

 落とし所を見失ったので、ここでおしまい。

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