私の「世界」、みんなの「世界」

 デイケアに通うようになって、私の世界は少し広くなった。
 今まで家族としかほとんど接してこなかったからだろうか。デイケアに来て、いろんな人と交流して、いろんな人の世界の一端に触れて、ちっぽけな自分を知って、私は「今」を「生きてる」と思うようになった。

 世界にいろんな人がいることは知っていたし、その人数分の「世界」があることも知っていた。つもりだった。あくまでも「つもり」だったのだと今は思う。「私の世界」しか私には見えてなかったのだと。
 例えば音楽で。例えばホロスコープで。例えば作業で。私はいろんな人と会話する機会を得た。それはとても億劫で、でも、とても楽しい。人間生活してるって気持ちになれる。そういう気持ちになると私はホッとして、でもちょっとだけがっかりもする。人間でしかいられないんだな、って自分に失望する。
 私は人間でいてはいけないと思っていた。人間の私は嫌われる私だから。でも、デイケアで人間に囲まれて、私は、人間の私を少しだけ許せるようになった。それが嬉しくて、同時に苦しい。甘ちゃんめ、と詰る私がいて、成長したね、と褒める私がいる。

 私は私が嫌いだ。それは相変わらずそのままだ。でも、それでも大丈夫だと言えるようにもなってきた。嫌いなままでもいい。それでも私を大事にしてくれる人もいる。私が大事にできない私を、私の代わりに愛してくれる人たちがいる。それだけでいいじゃないかと思って、同時にそんな自分をまた嫌悪する。
 人間って難しいなって思っては、自分が人間であることを恥じて、でも人間だもんって開き直る。私でいることはとても忙しい。
 どうせ生きるしかないのなら(だって死ねないし、死んだら子供たちのことどうするんだって思うし、そんな無責任なことできないし、したくないし、だったら生きるしかないんだと思う。)、かっこよく華麗に生きたいものだけど、でもそれも叶わない。無様に生きることしかできないし、それが私にはお似合いで、ぴったりなのだろう。優しい人たちは「そんなことないよ」なんて言ってくれるだろうけど、私は無様に足掻いてこそ、私なのだ。もうそこは譲れやしない。無様だからこそ、見えるものだってあるのだから。

 美しい世界に生きてみたかった。でも、私の世界は最初から泥だらけで、生きるのに適した環境ではなかった。全てが濁っていた幼少期。どんどん穢れていくことを望んだ思春期。穢れている自分に絶望して、でもそれを誇りに思った青年期。中年と呼べる年代になった今の私は、それら全てを「仕様がなかったよね」と慰められるぐらいには大人になったつもりだ。でも、それでも相も変わらず、罵倒を辞めない私もいて、それすら受け止めていくしかないのだとため息を吐けば、外はもう息が白くなる時期になっていた。
 美しくない世界に万歳。汚い人生に乾杯。だって、その結果、今の私はここにいる。自分を愛せずとも、自分が愛される夢を見る自分が、ここにいる。
 愛されたい。でも、私が愛して欲しい人は、絶対に愛してくれない。一生の片思いを続けていく覚悟は、できた。あとはもう、この片思いと心中せずに、愛してくれる人を愛せるように、美しい世界に変えていけるように、また泥だらけになりながら足掻くだけだ。

 私を呼ぶ声が日に日に増える。デイケア内で、私は相手を覚えていなくとも、その人は私を覚えてくれていたりもする。定期的に会話できる人も増えたし、何人かは名前も覚えてきた。
 私はそうやって、たくさんの「世界」にどんどん触れて、その中で育まれる何かに水をあげて、肥料をやって、日に当てて、そうやってどんな花が咲くのかを待つのだ。その花から何が収穫できるか分からないけれど、それもまた楽しみの一つだろう。

 今、の私の「世界」は恐らく浄化されてきていて、汚いというには物足りないかもしれない。底なし沼から逃げ出そうと足掻いていたころが懐かしく思えるほど穏やかな水面。底は少し見えている。でも、まだ油断はできない。というかしたくない。私は私を許していないのだから。
 足元を見れば結構ぐちゃぐちゃで、空を見上げれば時々鳥の囀りが聞こえる。私の「世界」は中途半端だ。中途半端だからこそ、私はまだ生きている。美しくない世界だからこそ、私はまだ息をしていられる。

 余談。前回、詩『かみさまに逆らって』というのを寄稿したので、今回はエッセイもどきにしてみました。「りんご新聞」に何かを書いてみることで、私の中の活力になるような気がしています。この場を借りて、編集の皆さん、そして読んでくださった方に感謝を。

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