見出し画像

心霊写真

TBSが心霊写真を捏造したとかしないとかの話で、なんとなく今更な感じがあった。
心霊写真の歴史は古くて、日本に写真機が持ち込まれて、間も無く心霊写真が作られて売られていたらしい。技術的なことはわからないけど、例えば偶然にしても我々の目は逆三角形の点∵を顔だと認識するのだから、例えそこに顔がなくてもいずれは霊を見出したのだろう。

そんなことより心霊写真特集というものがまだテレビで放映されていることに驚いたし、嬉しかった。
私が子供の頃、夏の午後や夜によくそんなテレビがやっていて怖がりながらも楽しみにしていたものだ。
あれだけ人気?のあった心霊写真だけど、私はなぜ、いつかの時代を境に下火になってしまったのかと考えてみた。
どうもそれはデジカメの登場と関係があるように思えてならない。
デジカメの登場は、それまである種の技術を持った者しかなし得なかった現像という工程が、一般の人間にも開かれたことを意味する。当然デジカメの写真を加工、修正する専用ソフトも出回っている。画像加工が容易になったからこそ、心霊写真はその神秘性を失い、下火になったことこそ、心霊写真が紛れもなく架空の産物であることを裏付けている。
だから、今回のTBSの心霊写真が加工だとかいう批判はややナンセンスである。

さて、カメラというものを考えた場合、それは過去に飛び去る前の世界の一瞬を、歴史の決定的瞬間を切り取ることが出来るものであったけれど、私たちが日々、監視、記録、管理されているデジタルの世界ではむしろその一瞬一瞬をを積み重ねてパラパラ漫画のように、あるいはCGで再構成された空間として体感することも不可能ではないだろう。
デジタルによって時間の軸、そして空間という神秘性を取り除いた世界には幽霊は存在できない。デジタルはあたかも暗闇を強力なライトで照らして真昼の世界にするかのようだ。

それはそうと、昔の、ちょんまげをした人達は、写真をどう思っていたのだろう。
今この刹那、過去に飛び去る一瞬をどんな思いで見つめていただろう。
そこに写っているのは自分であって自分ではない。幽霊でなくてもどこかパラレルな世界で生き続ける自分を、あるいは想像していたのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?