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『星の王子さま』の解釈

読書感想文の定番であるサン=テグジュペリの『星の王子さま』であるが、実際、中高生が読むには難解な本だと思う。
序の部分に、

私はこの本をかつて子供だったその大人に捧げたいと思う。

とあるように、これはそもそも絵本でありながら、そもそも大人を読者として想定している。大人の食べる苦いチョコレートみたいな感じ。

昔、ある生徒の読書感想文に、
…キツネが王子さまに伝えたように、大事なことは目に見えないのです。家族や兄弟と過ごす日常の大切さ…云々、とあった。
なるほど、確かに身近で平凡な幸せこそ気付かないものだし、失って気付かされることって多いよな、と思いつつ、どうも違和感があった。
確かに一般的にはそう解釈されているのだけど、そんな当たり前のことを述べたいのではないのではなくて、逆なのではないだろうかと。

「大事なことは目に見えない」のではなくて、「目に見えないということが大事」なのではないか?

砂漠が美しいのはね、どこかに井戸を隠しているからだよ。

「夜、きみが空を見上げたら、あの星のどれかひとつにぼくが住んでいるし、あの星のどれかひとつでぼくが笑っているから、それはきみにとって、星が全部笑っているのと同じことなんだ」

つまり、目に見えないからこそ、隠されているからこそ美しいものがあるということなんだと思う。

例えば男性にとっての女性という存在もそうではないだろうか。
その人を見て、美しいと思うのはその人の全てを知らないからであって、全て知りたいと思うところに恋愛の美しさがあるのかも知れない。

「エロスとは隠されていることだ」と言うのは名言で、よく結婚して幻滅した話として、風呂上がりに嫁が素っ裸でいるとかいう話をよく聞く。見えてしまったら、全て知ってしまったら、恐らく面白くないのである。女性には申し訳ないけど、大抵そんなものじゃなかろうか。

「見ぬものきよし」という言葉がある。
台所で蒲鉾を床に落としても、その瞬間を見ていないものには汚くないという感じで使うのだろう。
私たちの明日も、私たちの生きる世界も、実際は可能性になんて溢れていない、ごく平凡なものに違いないのだけれど、見えないからこそ一歩踏み出そうとするような気がする。






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