見出し画像

VUCA時代の学校教育でどのような力を育むべきか。〜変化に呑まれる前に変革を起こそう〜

「~If we teach today as we taught yesterday,we rob our children of tomorrow. ~John Dewey」

「昨日の教え方で今日教えれば、子供達の明日を奪う」アメリカの哲学者・教育学者 ジョン・デューイの言葉。この言葉は教育の本質を突いてると思うし、僕の好きな言葉の一つ。子どもたちの明日を奪わない為にも、昨日の教え方にあたる古い教育とは?明日から何を教え、どういった能力を育むべきか?VUCA時代と言われる今、改めて学校教育について考えてみたい。

そもそも、学校教育は、社会に出る準備期間として存在している。それなのに今の社会や半歩先の社会に対応した能力の育成は、十分に行われていない。もちろん日本の数学・科学・読解力等のリテラシー(能力)は先進国でもトップに近いし(良い順位を取った時は報道されない...)、大学ランキングでも少ない予算ながらアメリカ、イギリスに次いでランクインしており、素晴らしい側面がたくさんある。

けれども、現状の学校教育では、22世紀まで生きる今の子ども達が身につけるべき能力を育むことは十分にできていない。学校教育のあり方を考え直す時が迫っている。というより考え直さないと淘汰されるだろう。企業がパーパス(存在意義)を問われるのと同様に、学校もパーパスを問われている。実績の積み上げの延長線上や成功事例の踏襲ではVUCA時代に対応できない。社会は驚異的なスピードでアップデートしていくのに、学校はなかなかアップデートされない。昨日の教え方で今日も明日も明後日も来年も教え続けるのが学校ってもんだ、、と言われても無理はない。

今も続いてしまっている多くの学校教育は、20世紀の工業社会に対応するためには、理想的な教育だった。産業革命以降、命令に逆らわず、お手本に忠実に大量生産をおこなうことが良しとされた。マニュアルを覚えて、それを高速に再現する能力を身につける教育をおこない、これによって日本の品質管理は大成功。大成功したもんだから、慣性力によって1990年には新しい教育体制に変わるべきだったのに、そこから30年近く続いてしまった。残念ながら、暗記したことを正確かつ高速にこなすことはAIに代替されてしまう。5つの選択肢があるとしたら、どれも正解でないから6個目、7個目の選択肢を創ろう、そういう人を育てる必要がある。人間にしかできないことをしなければならない。キツい言い方をすれば、今後は二流のロボットではなく、一流の人間を育てることが学校教育では求められる。

ところでVUCA(ブーカ)の時代とは何なのか。VUCA(の時代)とは、「予測困難で不確実、複雑で曖昧」な時代になるということを意味するものとして使われるらしい。もともとは軍事用語で、こちらの4つの単語の頭文字をとった造語(Volatility:変動性)(Uncertainty:不確実性)(Complexity:複雑性)(Ambiguity:曖昧性)。新型コロナウイルスの影響により、社会や経済の様々な問題が、全世界で瞬時かつ連鎖的に引き起こされました。これだけ複雑かつ不確実で解決の道筋が見えない状況になることをいったい誰が予想していただろう。今回、ぼくは完全にVUCAの時代が始まったんだなあと実感しています。地球規模で連鎖的に発生する問題にストップをかける為に、歴史上初めて全ての国が合意しSDGsが誕生したのにも頷ける。

これから起こりそうなことを考えてみたい。例えばグローバルでみると、気候危機(変動)により、異常気象が爆発的に増え、永久凍土が溶けることで新たな恐ろしいウイルスが発生し、住む場所や仕事が無くなり、貧困や格差拡大、最終的にはテロや紛争が増加するなんてことが考えられる。国内でみれば、南海トラフ地震や津波、富士山の噴火はいつ起きてもおかしくない。それにより国内の経済的損失や相対的貧困・格差拡大は相当なものになるだろう。このようにVUCAの時代は、まさに激動期と言えるし、有事と平時の境界線が曖昧になるんだろうなと思っている。

一方で人間は時代の変化を過剰に捉える性質があるのもまた事実。今現在は本当に変化の激しい時代なのか、VUCAの時代なんだろうか?Newspicksで楠木さんが言っていた話が面白い。過去のビジネス誌を50年間振り返ると、毎年「産業革命」「今こそ激動期」「十数年〜百年に一度の危機」といった言葉が並ぶらしい。まあ「今こそ平常期」というタイトルでは、売れないから仕方ないねとも笑。不必要に「激動期」「VUCA」こういった言葉に踊らされないことも大切かもしれない。しかしながら、先に示した通り、急速なAIの発達や移民の増加、新たな感染症の蔓延、そして待った無しの気候危機、今回こそはVUCAの時代といっても楠木さんも許してくれるのではないだろうか。少なくとも教育業界はそう思って準備・変化するべき時を迎えている。新学習指導要領には、ついに「持続可能な社会の創り手」の育成について明記された。世の中を変えるには、メディアか政治か教育しかない。教育はVUCAの時代をどう乗り切る必要があるのか。そして、どんな能力を育むべき何だろう。

この答えは、OECDのeducation2030プロジェクトが2019年に提示した「ラーニングコンパス2030」の中にある。ちなみにこちら本がおすすめです☺︎

画像1

VUCAだし、予測不可能な事態だからと諦めて、今のまま何もしなかったり、都度その事態に対応するといった受け身の姿勢では、最悪のシナリオが待っている可能性がある。すなわち、自ら変革する姿勢や行動が必要不可欠だ。したがって、学校教育は、今までのような「その都度、変化する社会や経済に対応する力を育むという受け身的な姿勢」ではなく、「あるべき社会を創り上げる能動的な姿勢や能力」を育む必要がある。過去の能力(コンピテンシー)育成に関する議論は、例えば「ICT普及など時代の急速な変化に対応して、子どもたちにどのような力をつけていくか」といった雇用可能性や生産性の向上という視点が中心だった。ここ数年だと「AIやプログラミングに関するスキルを身につけさせよう」といった労働者が企業から求められるスキルを身につけることに主眼が置かれた教育が流行っている。しかし、前述した通り、一生懸命身につけて社会に出た頃には、別のスキルが求められるかもしれないのが現実である。

ラーニングコンパス2030のキャッチコピーとして「The future we want 私たちが実現したい未来」が頻繁に登場する。私たちが実現したい未来を実際に実現するための重要な概念がエージェンシーである。ラーニングコンパスの資料においても、実質的な第一番目として書かれており、非常に重要な概念(多様な能力の集合)だ。エージェンシーとは、よりよい未来を創造するために責任感を持って社会参画していくことである。先ほど紹介した本には「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」と定義されている。他にエージェンシーを表す文章としては、「誰かの行動の結果を受け止めるのではなく、自分で行動する 形作られるのを待つのではなく、自分で形作る 誰かが決めたり選んだことを受け入れることよりも、自分で決定したり選択する」などがある。また、単に自分たちの欲求を実現するだけでなく、その行動や自らが起こした変化が周囲にどう受け止められ、社会にどのような影響を及ぼすかに責任を負い、振り返ることを重要視している。ちなみに「自分ごととして捉える」や「当事者意識を持つ」といった自覚をもつことに止まらず、変化を実現するために具体的に行動するところまで含まれている点が素晴らしいと個人的に思っている。

下記の図表をご覧ください。2019年11月に日本財団が発表した「18歳意識調査」です。世界9か国の17~19歳各1000人の若者を対象に、国や社会に対する意識を聞いたものだ。

18歳意識調査

日本はかなり低い数値であり、どの項目も他国に比べて著しく低い結果となっている。「自分で国や社会を変えられると思う」は18.3%、「自分は責任がある社会の一員だと思う」は44.8%となっており、諸外国と比べて半分から1/4程度しかない。残念ながら、日本の教育はこれから最も重要になるであろう責任をもって変革を起こそう・未来を創ろう とする態度や能力≒エージェンシーを育むことができていないと言える。英語もやらねばプログラミングもやらねばと「教育の幕の内弁当化」が起きている今、選択と集中が必要だが、その中でもエージェンシーを育むような探究学習やSDGs学習は残るはずであり、今後の教育の主流になってくると考えられる。

ラーニングコンパス2030 学びの羅針盤(下図)では、エージェンシーとはまた別の重要な能力・資質として「変革をもたらすコンピテンシー(能力)transformative competencies」がある。より良い未来の創造に向けた変革を起こす力のことである。transformという言葉は紛れも無くSDGsを想起させる。そもそもSDGsが採択された際の正式文書のタイトルは「Transforming our world (我々の世界を変革する)」である。トランスフォームや2030というワードから分かるように、VUCA時代の教育はSDGs実現に向けた教育へと転換している。そして、その先にある個人と社会のウェルビーイング(精神的、肉体的、社会的に満たされた状態 持続的に幸福な状態)が最終的なゴールである。(図では右側の看板に記載)

画像3

今を生きる生徒が身につけるべき「変革をもたらすコンピテンシー」とは、具体的にどのようなものなのだろうか。上図にあるよう下記の3つで構成されている。1.新たな価値を創造する力(Creating new value)2.対立やジレンマに対処する力(Reconciling tensions and dilemmas)3.責任ある行動をとる力(Taking responsibility)の3つである。

1.新たな価値を創造する力(Creating new value)というのは、ウェルビーイングなより良い人生や社会の実現に向けてイノベーションを起こす力だ。AIやコンピューターができないことでありVUCAの時代にまさに必要とされる力である。SDGsにおいて厳しいルールを各国に課していないのは、イノベーションによる解決を期待しているからでもある。2020年に雇用主が求めるスキル(newspicksオリジナル記事より)では、この力に対応するスキルの順位が上がってきている。

画像4

2.対立やジレンマに対処する力(Reconciling tensions and dilemmas)というのは、複雑で曖昧な時代においては、唯一解や、AかBかのどちらかといった二項対立は存在しないことが多い。様々な利害関係者がいる中で、関係者皆が納得できるような解決策を見つけ、折り合いをつけていくことが大切である。「板挟み、想定外、時には修羅場」を乗り越える力が必要であり、これらに対処したその先にSDGsの達成やより良い未来を創造するチャンスが待っているのだと思う。他者への共感はもちろんのこと、曖昧さに対する寛容さや相反するニーズを調整していくことなどによって、この力は構成されている。これまで以上に移民が増加し、文化的にも宗教的にも異なる人と共に過ごしていく必要があり、不確実な世の中を渡り歩いていくためには、対立やジレンマに対処する力の重要性は非常に現実味を帯びている。

3.責任ある行動をとる力(Taking responsibility)というのは、「私たちが実現したい未来」を本当に実現するためには、自分自身のことだけで無く、他者や地球環境などを含めた社会全体のバランスを意識して行動することが重要である。道徳的視点を持って、他者と社会に責任を負うことは、先に挙げたエージェンシーの概念と共通している部分が多い。

以上、変革をもたらすコンピテンシー(能力)transformative competencies」すなわち、より良い未来の創造に向けた変革を起こす力を構成する3つの力について紹介した。これらの能力を学校教育で育むことは十分に出来ていない一方、私よりちょっとだけ若い世代(Z世代)は、ジェンダーや環境問題など、他者や社会、そして地球環境に責任をもって行動している人が比較的多い。特にグレタ・トゥーンベリさんのような変革を起こす力をもつ方まで現れた。

ジェネレーションレフトという言葉を最近聞いたが、別に私も含めた若い世代にはそもそも右も左もない気がする。社会的に弱い立場の人や国、不平等に対して意識を持つ人の割合は確かに多い。どちらかと言えば社会主義的なんだろうと思う。とは言っても急に若者の意識が向上したわけではないはず。きっと、BTSやビリーアイリッシュなどの著名人や大阪ナオミ選手などのスポーツ選手が社会課題について発言している姿をクールだと感じ、それを真似している。これが真実に近いと思う。ファッションによる「かっこいい」はインスタグラムによりインスタントに消費され、特別なものでは無くなった。バリバリ稼いで高級車に乗ることもかっこよくない。社会の課題に対して発言や解決をすることこそクールなんだという雰囲気が醸成されつつあるんだと思う。つまり、エージェンシー風(よりよい未来を創造するために責任感を持って社会参画していく風)はクールだという雰囲気が出来上がりつつある。エージェンシーがファッション(流行)として終わってしまわないよう、SDGsウオッシュのような取り組んでるフリにならないよう、学校教育を通してきちんと能力を育むことが重要だと確信している。私は、なんとなく環境問題について発言するのがクールだから語る生徒ではなく、社会を変革するために環境問題に本気で取り組む姿勢と能力を持つ生徒を育てたい。

そもそも若い時期は理想に燃える時期なので社会主義によりやすいのかな。それに私と同じ経験をしてきた先進国の10代〜20代(Z世代〜ミレニアル)は生まれながらにしてある程度満たされた世界に生きてきた。それゆえ、資本主義に魅力や恩恵を感じない。ぼくが生まれた1992年には地球サミットが開かれ、その頃から環境問題は全世界で共有されていたが、資本主義経済を優先させ、安価な労働力と安価な資源を根こそぎ使い倒し、先進国は発展した。それにより波及する問題をわざと不透明な形にして、外部(途上国)に転嫁してきた。その結果、ロックストロームさんが提唱した「地球の限界(プラネタリーバウンダリー)」が迫っている。それを防ぐために、世界は太陽光パネルや電気自動車等の技術革新によって経済成長を維持しながら、二酸化炭素排出量の削減を目指している。しかし、経済成長と環境改善の両立(緑の経済成長)を支持し続けていたロックストロームさん自身が、2019年「緑の経済成長という現実逃避」という論考を発表した。やはり、経済成長と環境改善の両立は難しく、脱成長・脱資本主義が注目されている。

それでも美味しいものが手軽かつ安全に食べられ、iphoneという手のひらサイズに収まるパーソナルコンピューターで遠隔地から仕事をしたり、Netflixを一日中見たりすることができるのは紛れも無く資本主義のおかげであり、国ガチャ親ガチャに恵まれ、僕はこの資本主義の恩恵を良くも悪くも享受してきてた。とはいえ、ホリエモンさんがいうように何でも資本主義のせいにするのは違うし、安全な原子力の開発や二酸化炭素を海洋に埋める技術の発展に集中投資することで、経済成長と環境改善はトレードオフの関係ではなくなるかもしれないことに留意したい。

話は少し逸れてしまったが、資本主義vs社会主義のような話をしたいのではない。VUCAの時代を乗り切り、私たちが実現したい未来を本当に実現するためには、二項対立のどちらかに偏るのではなく、折り合いをつけながら合意形成するために、対立やジレンマに対処する。曖昧で複雑な世の中だからこそ、ありたい世界からバックキャスティング的に発想して、社会課題解決のために既存の枠組みに当てはまらないような新たな価値を創造する。そしてその際、常に社会や地球環境に対して責任ある行動をとる。この3つの変革をもたらす能力を学校教育で身につけることが重要である。そして、これらの力を持ってエージェンシー(よりよい未来を創造するために責任感を持って社会参画していく姿勢・能力)を協働して発揮していけば、私たちの世界はトランスフォームするに違いない。どのような授業スタイルが望ましいかと問われれば、地域や社会の課題を解決する探究学習やSDGs学習がやはり望ましい。対立やジレンマに巻き込まれながらも、何とか他者や環境に責任をもちながら、答えのない中で新しい答えを創造しなければならない。自然と変革をもたらす能力3点セットが育まれると考えられる。

スクリーンショット 2021-11-27 13.02.09

上記のように学校教育の目的は【個人】と【社会】の2種類がある。より良い未来の創造に向けた変革を起こす能力(先ほどから挙げている3つ変革をもたらす力)を育むことができれば、AIに仕事を盗られることなくご飯を食べていける、よりよく生きていける個人を育てることができ、それと同時に持続可能な社会を創ることができる。すなわち、個人と社会の両方の目的を達成できる。

受身的に変化に呑まれる前に、能動的に変革を起こそう。
みんなで教育から世界を変革しよう。        

めもりー。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?