北信濃から

日々の記録です。

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  • 日々雑感

    日々の雑感を書きます。

  • 長野ミライ会議

    長野ミライ会議のレポートを中心に書きます。 https://www.facebook.com/%E9%95%B7%E9%87%8E%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%82%A4%E4%BC%9A%E8%AD%B0-265268150630500/

最近の記事

じぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんで決めなくてはならないからだよ。

ご無沙汰していますが、先日(11月8日)、無事に30歳の誕生日を迎えることができました。 好き勝手やってもなんとなく許してもらえた20代(だと思っていました笑)も、あっという間に終了。特に感慨があるわけではないけれども、いよいよ「本番」だな、という気持ちです。 大学時代も含めて、ここ10年近く常に激務と言ってもいい生活を続けてきたのに、特に大きな病気をせず(この1年は体調不良の連続ですが・・・)30年間も生きてこられたこと、そして、そんな身体を作ってくれた両親や基礎体力を

    • 「大きな物語」から、「大いなる物語」へ。

      ちょうど1週間前、11月3日に信濃町で開催予定の『物語と私をめぐる旅』という企画の取材で、四日市にある子供の本の専門店「メリーゴーランド」を訪れる機会があった。 9日に店主の増田さんにインタビューさせていただく予定になっていたのだけれども、その前日にメリーゴーランドの人気企画である「レクチャー」が開催されるということを知って、1日前に四日市入りすることに。 レクチャー会場入り口。メリーゴーランドは、手書きで手作り感のあるポップや看板に溢れて、それがとても心地よかった。

      • 「教育者」とは、どういう人だろう。

        ここ数年、大学の非常勤の仕事をいくつか受ける機会があって、昨年度からは立教大学で、「都市計画」と「市民参加とまちづくり論」を担当している。 今年2年目、毎週長野から通うのは難しいということを理解していただき、2週間に1度、1回につき3時間(1時間半の授業を2コマ)の授業。2週間のうち1日は、ほぼ朝から晩までキャンパスで過ごすことになる。 「都市計画」では、紀元前3000年くらいから現代に至るまでの都市(人が集って住まう場所)の歴史やその背景、都市計画という概念が登場した近

        • 「みんなのもの」になる

          先週は、本当に目まぐるしい1週間。11月のイベントに向けたインタビュー@四日市から始まり、役場での横断型プロジェクトのキックオフ、今年初めて開催する短編映画祭の企画詰めやスポンサーとの調整、県庁事業へのプロポーザル参加、委託事業として実施予定の国の事業の調整、立教大学での最終講義、県立大学の場づくり、、、、いろいろが重なった1週間だったけれども、なんとかやりきれた感じもあるし、まだまだ終わっていないことも多く、今週もまた山が続きそうな状況です。 * そんな1週間を駆け抜け

        じぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんで決めなくてはならないからだよ。

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          23本
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          2本

        記事

          「終わりなき日常を生きる」こと

          オウム真理教の元幹部たちの死刑執行、というニュースが日本中を駆け巡ったのは一昨日のこと。 言い方が難しいが、こんなに死刑という制度が陳腐なものだと思えたことは、今までになかった。 正直なところ、死刑制度について、感情的には根っからの反対主義者というわけではなかったけれども、今回のことは、その立場についてかなり考えさせられた。 死刑執行が、事件で被害者の方の心を、本当に救済するのだろうか。国家による"復讐"が、新たな復讐の大義を与えてしまわないか。何より、オウム真理教の事

          「終わりなき日常を生きる」こと

          命の恩人と、一歩踏み出す勇気について

          本当はその場で決めるべきこと、もっと踏み込むべきことが目の前にあったとき。そして、それに自分自身が薄々気づいているとき。 そんなとき、「まあ、これくらいでいいや」となるか、「よし、もう一歩力を振り絞ろう」となるかで、当然得られる結果は全く異なってくる。 そんなことは当たり前だよ、と言われそうだけれども、どうも怠け者の僕は、自分自身がその後者(「よし、もう一歩力を振り絞ろう」)の気持ちや状態でいられるように、いつも意識していないといけない。仕事で失敗するときは、大抵どこかで

          命の恩人と、一歩踏み出す勇気について

          幸せな夜と、「デザインフェロー」のこと

          昨日は、終日長野市での仕事。明らかに暑さのレベルが変わったことを実感する。いよいよ真夏の到来だ。 昨日は、これまでの積み重ねが実を結んだ仕事が多く、特に夕方の集いは本当に嬉しくて、楽しい時間になった。 信州大学教育学部内にあるFabLab長野にて。 今年の4月からスタートした「デザインフェロー養成講座」というプログラムがある。昨夜の集まりは、そのプログラムを推進している運営チームが久しぶり集まる機会だった。 デザインフェロー養成講座は、長野県教育委員会の主催で、僕自身

          幸せな夜と、「デザインフェロー」のこと

          「当たり前」のメガネを外すこと

          7/1。今年もあっという間に上半期が終わってしまった。 そんな今日は、午前に大阪市立大空小学校の元校長である木村泰子さんの講演会が小布施で開催されていて、とても印象深かったので感想を書いてみたいと思う。 * 大阪市立大空小学校は、ドキュメンタリー映画「みんなの学校」で一躍全国区になった学校。2006年に開校された比較的新しい学校で、「すべての子供の学習権を保障する学校をつくる」を理念に、開校時から校長を務めた木村先生のもと、ユニークな学校づくりを進めてきた。 face

          「当たり前」のメガネを外すこと

          休日の小布施を堪能してみて感じたこと

          昨日のことになるが、大学時代からの大切な友人が、女性ばかり3名小布施を訪ねてきてくれた。どうしても仕事の都合で土日に仕事やイベントが入ることが多く、10月くらいまでほぼ予定が埋まっているのに、なぜか昨日だけは空いていた。 終わっていないこと、前に進めないといけないこと、せっかくの休日に時間をとって考えたいこと、いろいろあったのだけれども、せっかく気の置けない仲間が小布施まできてくれる貴重な機会。ここは思い切って(案内するということにかこつけて)、何も考えずぼーっと過ごす1日

          休日の小布施を堪能してみて感じたこと

          「生きた時間」を生きるとは

          ミヒャエル・エンデのモモを、改めて読んだ。正確にいうと、今日とあるミーティングの後に気になって、12章「モモ、時間の国につく」という章を、改めてじっくり読んでみることにした。 モモを愛読書としている人であればわかるかもしれないが、この章では、カシオペイアという亀の助けを借りて時間どろぼうから逃れてきたモモが、「どこにもない家」にたどり着き、時間を司るマイスター・ホラに出会う場面が描かれている。マイスター・ホラとモモとの、時間についての対話がこの章の見所だろう。 なぜ気にな

          「生きた時間」を生きるとは

          その土地からしか生まれないもの

          年末年始を地元の高崎で過ごし、昨日の深夜に小布施に戻ってきた。 車から出た時に肌に触れる空気の違いを感じながら、ふと、どの地域にも、その土地でしか生まれないもの、育たない感性みたいなものが、きっとあるんだろうという考えが頭の中に浮かんだ。 数日留守にしていたからか、家の中はキンキンに寒くなっていて、早速風邪を引くという、早くも出鼻を挫かれた2018年の始まり。 * 「その土地でしか生まれないもの」といえば、昨年10日間ほど滞在したネパールのことが頭に浮かんでくる。

          その土地からしか生まれないもの

          山を登る自分になる

          1月3日。三が日はよく休み、家族との時間を過ごした。前の記事にも書いたけれども、父も含めた家族全員で過ごす正月は、本当に有難い、幸せな時間になった。 そんなこんなで先ほど深夜0時近い小布施に車で戻ってきたのだけれども、高崎から1時間半程度の距離なのに、こちらは雪が深々と降り積もり、久しぶりの我が家は少し埋まりつつさえある。また明日から、寒い朝晩と、日によっては1日数回の雪かきとの戦いが始まるようだ。 服がタバコ臭いのと、少しだけ気持ちがセンチメンタルになっているのは、直前

          山を登る自分になる

          そこにある「電柱」を目印に

          小学校の頃の校長先生からの「講話」の中で、唯一覚えているものがある。いや、正確にいえば、2018年元旦にランニングしている時に、ふと思い出した話。 早速話が逸れるが、中学校や高校の時、校長先生が話してくれた講話の中で、何か覚えていることはあるだろうか。少なくとも僕は、なにも思い出せない。これは校長先生が悪いということではなくて、きっとその時の自分自身の状況によるのだと思う。「覚えている」ということは、概してその時の自分にとって関心のある内容であり、必要な話であることが多い。

          そこにある「電柱」を目印に

          退院しました。

          11月18日に最初の記事を書き、25日にその続編を書いたまま、noteではしっかり報告をしてこなかった父の病状についてですが、ようやくひと段落つきましたので、年末の時間を利用してここにまとめたいと思います。 結論からいうと、12月26日に約1ヶ月ぶりに入院していた病院を退院し、我が家に戻ってきました。現在では、以下の写真にある通り、自分の意思で歩き回り、認知能力も以前の状態にほぼ戻ったと言ってもいい状況まで回復しました。1ヶ月前の状況を考えると、本当に信じられないです。

          退院しました。

          11/25時点での父の病状について

          父(大宮登)に関する先日の記事について、予想以上の方々からフィードバックやアドバイスをいただきました。僕も含めてみんなパニックになり、適切な助言を得られておらずにどう進めばいいのかわからなかった家族にとって、本当にたくさんの道標をいただきました。この場を借りて、感謝の気持ちを伝えさせてください。本当に、本当にありがとうございました。 アドバイスいただいた方々や父の教え子の方々、仕事仲間の方々などから、「その後どうなったのか」「心配です」というメッセージや電話をたくさんいただ

          11/25時点での父の病状について

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          <2017年12月30日追記> その後、原因が判明し、手術を行い、12月26日に無事退院しました。ご支援いただいたみなさま、本当にありがとうございました。 <2017年11月25日13:30追記> 11月25日時点での状況を以下の記事にまとめました。 <2017年11月20日10:30追記> その後いろいろな方から情報をいただき、現時点ではある程度の選択肢が見えてきました。まずは現時点での選択肢の中で意思決定していきたいと考えておりますので、新しくメッセージやメール

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